17日、突然波が落ちた。
連日3~4メートルだったのが、夜には1メートルになるという。
冬の能登外浦、こんなことは滅多にない。
これは何が何でも出かけねばならぬ。
怪物を狙える本命ポイントはこの時期到底釣りにならず3月までは諦めていたのだが、ひょっとしたらと期待した。
直行してみると案の定、波は1.5メートル、適当に荒れて悪くない状況。
実に半年ぶりの釣り座だった。
風邪は右後方からの緩やかな追い風。
時刻は9時。
空は晴れ上がり、満天の星が煌めいていた。
北極星を真ん中に挟んで北斗七星とカシオペアが水平線の上で向かい合っている。
ただ、風が冷たかった。
さて、釣りである。
このところの釣りから、渋いことは覚悟していたが、
案外、そうでもなかった。
ぼつ、ぼつ、とアタリがあり、ぼつ、ぼつ、と掛かった。



(改めてメバルの顔は魅力的だと思う。一匹一匹個性がある。今回は彼女たちの顔を意識して撮ってみた。)
入れ食いとはいかないし、サイズも22~23センチと今ひとつだが、このところの渋さを思えば、久々の釣りらしい釣りであった。
フロートリグメソッドである。
長めのリーダーに重めのジグヘッド(0.9グラム)、ガルプベビィサーディン。
始めは大きめのものを付けていたがアタリなく、ベビィサーディンに変えた途端にアタリが出始めた。
サラシ際でもなく、潮目でもなく、漠然と暗い遠くの海面でのみアタリがあった。
アタリがあるのはフルキャストして着水後の数巻きしたエリアだけだった。
方向も一つ。ちょっと外すともう当たらない。
小さい群れなのだろう。
同じ位置にキャスト出来れば続けてアタリがあるが、それも暫くすると当らなくなる。
そしていろいろ探っているうちに少しズレた方向でまたアタリがあり、暫くするとまた当らなくなる。
いずれもアタリのある方向は着水地点10メートルの幅はあるものの大体一方向である。
ほんの小さい群れが狭い範囲を行ったり来たり、移動しているように思えた。
強くはないが冷たい風だった。
星が綺麗な夜は冷え込むのだ。
予報では夜の気温は2度だったが、そんな筈はなかった。
熱い茶で身体を温め、かじかんだ手に息を吐きながらのキャストである。
と、小さくコツッ!と小さいアタリ。
少し遅れ気味に合わせるとしっかりと乗った。
重かった。それまでのやつと引きも違う。
ゴリ巻きしながらもドラグが出る。
高い釣り座である。足元まで引き寄せたのを確認してロッドを下げ、
いっち、にの、さん、で高速で巻きながら一気に抜き上げる。

でかかったが、尺には及ばなかった。

28センチ。産卵前だ。
でかいのもいる、
と期待するものの、その後はまた22~23センチに戻っちまった。
やはり同じ方向、同じ距離、ぼつ、ぼつ、と掛かった。




暫くアタリが途絶えたので、プラグを投げてみる。
かろうじてベビィサーディンに反応があるということはベイトは小魚に違いない。
しかし、反応なし。
ベビィサーディンより大きめの小魚系のワームにすると数度当って来た。
が乗らない。
再び沈黙。
場所を移動する。高いテトラ。
ここは昨年晩春から初夏にかけてデカイのがゴロゴロ上がったし、数匹怪物を逃したポイントだ。
この状況なら、と期待したが甘かった。
全くアタリさえなかった。
さてどうするか?
帰ろうか、寒いしな・・・・
時計は12時を回っていた。
帰りの方角、南の空にはオリオンが瞬き、その左下にはシリウスが一際大きく青く輝いていた。久しぶりに見るシリウスだった。
突然、元気が湧いて来た。
高いテトラで暫くやっていたお陰でかじかんでいた手も少し楽になっていた。
もう少しやってみるか。
このポイントで釣りが出来るなんてもう暫くないかも知れんし。
全く釣れんわけでもないし。
それにそのうち時合いが来て、でっかいのがガッパ、ガッパと食いつくかも知れんし。
元の釣り座に戻った。
だが、時合いどころか、ぼつぼつと当っていたのさえ何処かへ行っちまった。
正面、北の空は相変わらず雲一つなかった。
満天の星はますます輝きを増し、北極星を中心にして、北斗七星とカシオペアがゆっくりと半時計回りで回転していた。
深夜、独りで釣りをしていて霊的なものを見る人がいる。
私は鈍いのだろう、あまりそのような経験はない。
暗闇に独りでいても、基本的に寂しさは感じないのだ。
何故ならば、星たちがそこにいるからだ。
我々の存在は星の燃えかすから出来ている。
星たちと我々はぶっつづきでありとても近しい関係なのだ。
要するに、星たちは仲間なんである。
我々はいつも人間たちが作った価値観に翻弄されウロウロと生きているが
我々の生命は人間が作ったものではなく、宇宙という壮大な運行の中で生まれ、それとともにある。
宮沢賢治は「銀河をこそっと胸に収めて生きていこうではないか」と言ったが
私もそうありたいと願う。
すでに息を吐きかけてもかじかんだ指には力が入らない。
リールのハンドルをスムーズに回せなくなっていた。
最後のフルキャストで一匹。

それで終わりにした。
2時だった。
車に戻ると、フロントガラスの内側が表面結露し、それが凍り付いていた。

帰り道、道路標示はマイナス4度を示していた。
どうりでな。
うっひゃ~~。
帰って後、魚の胃を調べてみると小さいエビ(アミ)が出て来た。カブラを使ってみるべきだったか。
連日3~4メートルだったのが、夜には1メートルになるという。
冬の能登外浦、こんなことは滅多にない。
これは何が何でも出かけねばならぬ。
怪物を狙える本命ポイントはこの時期到底釣りにならず3月までは諦めていたのだが、ひょっとしたらと期待した。
直行してみると案の定、波は1.5メートル、適当に荒れて悪くない状況。
実に半年ぶりの釣り座だった。
風邪は右後方からの緩やかな追い風。
時刻は9時。
空は晴れ上がり、満天の星が煌めいていた。
北極星を真ん中に挟んで北斗七星とカシオペアが水平線の上で向かい合っている。
ただ、風が冷たかった。
さて、釣りである。
このところの釣りから、渋いことは覚悟していたが、
案外、そうでもなかった。
ぼつ、ぼつ、とアタリがあり、ぼつ、ぼつ、と掛かった。



(改めてメバルの顔は魅力的だと思う。一匹一匹個性がある。今回は彼女たちの顔を意識して撮ってみた。)
入れ食いとはいかないし、サイズも22~23センチと今ひとつだが、このところの渋さを思えば、久々の釣りらしい釣りであった。
フロートリグメソッドである。
長めのリーダーに重めのジグヘッド(0.9グラム)、ガルプベビィサーディン。
始めは大きめのものを付けていたがアタリなく、ベビィサーディンに変えた途端にアタリが出始めた。
サラシ際でもなく、潮目でもなく、漠然と暗い遠くの海面でのみアタリがあった。
アタリがあるのはフルキャストして着水後の数巻きしたエリアだけだった。
方向も一つ。ちょっと外すともう当たらない。
小さい群れなのだろう。
同じ位置にキャスト出来れば続けてアタリがあるが、それも暫くすると当らなくなる。
そしていろいろ探っているうちに少しズレた方向でまたアタリがあり、暫くするとまた当らなくなる。
いずれもアタリのある方向は着水地点10メートルの幅はあるものの大体一方向である。
ほんの小さい群れが狭い範囲を行ったり来たり、移動しているように思えた。
強くはないが冷たい風だった。
星が綺麗な夜は冷え込むのだ。
予報では夜の気温は2度だったが、そんな筈はなかった。
熱い茶で身体を温め、かじかんだ手に息を吐きながらのキャストである。
と、小さくコツッ!と小さいアタリ。
少し遅れ気味に合わせるとしっかりと乗った。
重かった。それまでのやつと引きも違う。
ゴリ巻きしながらもドラグが出る。
高い釣り座である。足元まで引き寄せたのを確認してロッドを下げ、
いっち、にの、さん、で高速で巻きながら一気に抜き上げる。

でかかったが、尺には及ばなかった。

28センチ。産卵前だ。
でかいのもいる、
と期待するものの、その後はまた22~23センチに戻っちまった。
やはり同じ方向、同じ距離、ぼつ、ぼつ、と掛かった。




暫くアタリが途絶えたので、プラグを投げてみる。
かろうじてベビィサーディンに反応があるということはベイトは小魚に違いない。
しかし、反応なし。
ベビィサーディンより大きめの小魚系のワームにすると数度当って来た。
が乗らない。
再び沈黙。
場所を移動する。高いテトラ。
ここは昨年晩春から初夏にかけてデカイのがゴロゴロ上がったし、数匹怪物を逃したポイントだ。
この状況なら、と期待したが甘かった。
全くアタリさえなかった。
さてどうするか?
帰ろうか、寒いしな・・・・
時計は12時を回っていた。
帰りの方角、南の空にはオリオンが瞬き、その左下にはシリウスが一際大きく青く輝いていた。久しぶりに見るシリウスだった。
突然、元気が湧いて来た。
高いテトラで暫くやっていたお陰でかじかんでいた手も少し楽になっていた。
もう少しやってみるか。
このポイントで釣りが出来るなんてもう暫くないかも知れんし。
全く釣れんわけでもないし。
それにそのうち時合いが来て、でっかいのがガッパ、ガッパと食いつくかも知れんし。
元の釣り座に戻った。
だが、時合いどころか、ぼつぼつと当っていたのさえ何処かへ行っちまった。
正面、北の空は相変わらず雲一つなかった。
満天の星はますます輝きを増し、北極星を中心にして、北斗七星とカシオペアがゆっくりと半時計回りで回転していた。
深夜、独りで釣りをしていて霊的なものを見る人がいる。
私は鈍いのだろう、あまりそのような経験はない。
暗闇に独りでいても、基本的に寂しさは感じないのだ。
何故ならば、星たちがそこにいるからだ。
我々の存在は星の燃えかすから出来ている。
星たちと我々はぶっつづきでありとても近しい関係なのだ。
要するに、星たちは仲間なんである。
我々はいつも人間たちが作った価値観に翻弄されウロウロと生きているが
我々の生命は人間が作ったものではなく、宇宙という壮大な運行の中で生まれ、それとともにある。
宮沢賢治は「銀河をこそっと胸に収めて生きていこうではないか」と言ったが
私もそうありたいと願う。
すでに息を吐きかけてもかじかんだ指には力が入らない。
リールのハンドルをスムーズに回せなくなっていた。
最後のフルキャストで一匹。

それで終わりにした。
2時だった。
車に戻ると、フロントガラスの内側が表面結露し、それが凍り付いていた。

帰り道、道路標示はマイナス4度を示していた。
どうりでな。
うっひゃ~~。
帰って後、魚の胃を調べてみると小さいエビ(アミ)が出て来た。カブラを使ってみるべきだったか。