このところ雪模様、海も荒れて釣りはしばらくお預けである。
で、ちょっくらポイントの話。
釣りは一に場所、二に餌(ルアー)、三に腕といわれる。
まあ、当たり前の話。
魚のいないところでどんなことをやっても釣ることは出来ない。
釣り人にとって、場所に出会うことほど重要なことはない。
それによって、釣りの世界が新しくなり、スタイルも変わったりするんである。
出会いとは、そういうものである。
釣りのスタイルは場所によって作られるといっても過言ではない。
しかし、場所に出会うのは簡単なことではない。
メバルの場合、小さいのを数釣りするようなところには、まずデカメバルはいない。
成長によって、住む環境を変えるのだ。
考えてみる。どこにいるのか?
小さいやつがいるような条件とは違うところ・・・・
釣り人があまり行きたがらないようなところ・・・・・
メバルが釣れるとは思えないところ・・・・
デカイやつがうっしっしと楽に暮らせるところ・・・・
場所と出会うことは難しい。
いろいろ考えて、いざ出かけた場所で思惑通りの釣果があれば、そこが即自分の新しいポイントになるだろう。
しかし、そんな幸運は滅多にない。
初めての場所で釣れなかったら、多くは二度とそこに足を運ばないかも知れぬ。
しかしだ、その場所はとても可能性を秘めた場所であり、その時はたまたまジアイではなかったのだとしたら、
とても残念なことである。
釣れても釣れなくても、その場所の可能性と魅力を感じ読み取れる目が肝要なのだろう。
その目を鍛えること、それが釣りを深めるということかも知れない。
小生の場合、メバルを初めて数年であるが、
ラッキーなことに、3年前の春、師匠つーさんと越前海岸の彼のポイントにメバルを釣りに出かけ、
デカメバルの爆釣というのを体験した。
28センチを頭に25センチオーバーのオンパレード、40匹であった。
投げても投げてもそのサイズだった。
驚き、血は逆流、もう祭りのような釣りとなった。
その後、輪島に帰ってきて考えてみた。
輪島近辺では25センチ以上を釣ったことはなかったし
そのサイズの上のレベル(デカメバル)の爆釣なんて
他の釣り師たちからも、聞いたことがなかった。
しかし、越前海岸と能登外浦の環境はそう変わらない。
同じ日本海の荒磯である。
越前で釣れて、能登で釣れない筈はない。
デカメバルは必ずいる。
そう確信した。
で、いろいろ考えてみた。
考えているうちに、ふと、ある友人と前年クロダイ釣りに行ったことを思い出した。
その友人はクロダイ釣りの名人で、彼のポイントに一緒に出かけた。
勿論、生餌でのウキ釣りであって、クロダイも釣れたが、外道ででかいメバルが数匹釣れたのだ。
クロダイ師の彼も外道たちの大きさに驚き、わざわざ計ってみたのだが、一番でかいやつは29センチだった。
わざわざメバルを狙いに行くようなポイントではないが、
確かにでかいメバルが釣れた場所だ。
そのことに気がついたのは、既に春のシーズンが終わってからだった。
晩秋になって、そのポイントにでかけてみた。
数度でかけたが、殆どはアタリさえなく、一度偶然のように27センチが1匹釣れたくらいだった。
でも、確かにデカメバルはいたのだし、
そのポイントは他が凪ぎでも流れが複雑に合流してサラシが出来ており、
何か得たいの知れぬ大物が潜んでいそうな雰囲気に溢れていた。
年を越しても数度足を運ぶが、日本海の冬の海である。
寒いは荒れているわで、釣りにならなかった。
で、2月の終わり。
幾分波が収まり、比較的気温が高い日を選んで出かけてみた。
越前でのデカメバル爆釣は大きくて重いプラグ(6センチ7グラム)を初めて使ってみて、それがうまくいったので、能登でもそれで行こうと思っていた。
能登外浦の荒い海ではメバル用の3グラムクラスのプラグは使いにくかった。
で、ブルースコードC60をキャストした。
すると、ヒットした。28センチ~25センチが6匹。
爆釣ではなかったが、サイズが揃っていて、初めてデカメバルが釣れたという実感と、
ここがデカメバルのポイントであるという確信を得ることが出来た。
そうして数日後の3月2日の満月の日。
それは自分にとって記念すべき日となった。
所謂の爆釣ではなく、数匹釣れては間があき、また数匹という風に小さい爆釣が断続的に続いた。
ルアーはやはり6センチ7グラムクラスのプラグ、目一杯遠くへフルキャストした。
ジグヘッドや3グラムのプラグでは届かないところ。
そこでヒットした。
何匹目かに一際デカイのが釣れてクーラーボックスに入れ、次のキャストのリトリーブの最中、
さっきのはひょっとしてと、釣りを中断して計ったみたところ、やはり30センチを超えていた。
31.5センチ。自分ながら信じられなかったが、事実であった。
そのことがピンと来ないまま、粘っているとまたデカイのがかかった。
そいつは一際重く、引きも強かった。ドラグが鳴った。
なんと32センチだった。
結局、その日の釣果は尺2匹、29センチ、28.5センチ、27センチ2匹、25センチ数匹、計18匹だった。
初めての尺、それも2匹。こんなことがあるのか・・・茫然自失、足が震えた。
その後、デカメバルは釣れるものの、なかなか尺には届かなかったが、
4月23日、再び尺と出会うことになった。31センチだった。
こうしてこの場所は小生にとってのデカメバルのサンクチュアリと言うべきポイントとなった。
その後も沢山ではないが、尺を釣り続けることが出来た。
決して、メバル釣りがうまいのではない。
場所と出会ったお陰である。
かといって、この場所に行けばデカメバルや尺が釣れるかと言うと
決してそうでもない。
ここで所謂の爆釣というのを体験したのは1~2度しかない。
殆どは、粘り、考え、いろいろやっているうちにかろうじて釣れるのである。
ここで、5~6時間粘るのは稀ではない。
粘れる場所なんである。
どこかにいる、という確信がある。
だから粘れるんである。
小生の場合、粘るというより、気がついたら5時間経っていた、という感じなのであって、
決して、がんばって粘る、というものではない。
小生は基本的にがんばるのが嫌いなんである。
仕事でも何でも、がんばらないんである。
がんばると病気になっちまうとも思っている。
その日のパターンというものがある。
浅いところか、深いところか、近くか、遠くか、ストラクチャーの傍か、サラシの際か、どのラインで、方向は、
プラグかワームか、プラグの種類、ワームの種類、早く引くのか、遅く引くのか・・・・・・
いろいろ考え、やってみる。
いろいろやっているうちに2時間くらいはあっという間に経っちまう。
で、いろいろやっているうちに1つのパターンにわずかな魚信。
その一点だけに反応がある。そこに集中する。
そこからワンキャスト一匹のヒットが始まったりするんである。
或いは、全く駄目だったり。
言えることは、釣れないからこそ、いろいろ考えやってみる。
そのことが釣りを上達させ、そのポイントのことを詳しく知ることになる。
また、釣れると単にお祭り騒ぎだが、釣れないと人生を考えたり、哲学をさせてくれたりもする。
いっぱしの釣り師というものは釣れない日々を数多く重ねて、
その、もの言わぬ渋い背中には多くの哲学が幾重にも垢のように沁み込んでいるのだ。
(うっしゃ!!いっぱしの釣り師になりて~~)
ポイントを教えてくれと簡単に言う人がいる。
でもそんな人には教えないことにしている。
魚を釣り上げること、釣りはそれだけじゃあない。
自分で考え自ら場所と出会う。
場所と付き合い、仲良しになる。
そうして自分のポイントが育つのである。
同時に、自分の釣りも育つのである。
その過程が楽しいのであり、釣りの醍醐味なんだと。
小生にしてもポイントを数多く知っているわけではない。
いや、能登外浦に点在する数多くの魅惑的な磯の殆どは未知の領域といっていい。
メバルを始めて4年目、まだまだ、これからなんである。
新しいポイントを開拓すること。
それが今年の最大の課題である。
で、ちょっくらポイントの話。
釣りは一に場所、二に餌(ルアー)、三に腕といわれる。
まあ、当たり前の話。
魚のいないところでどんなことをやっても釣ることは出来ない。
釣り人にとって、場所に出会うことほど重要なことはない。
それによって、釣りの世界が新しくなり、スタイルも変わったりするんである。
出会いとは、そういうものである。
釣りのスタイルは場所によって作られるといっても過言ではない。
しかし、場所に出会うのは簡単なことではない。
メバルの場合、小さいのを数釣りするようなところには、まずデカメバルはいない。
成長によって、住む環境を変えるのだ。
考えてみる。どこにいるのか?
小さいやつがいるような条件とは違うところ・・・・
釣り人があまり行きたがらないようなところ・・・・・
メバルが釣れるとは思えないところ・・・・
デカイやつがうっしっしと楽に暮らせるところ・・・・
場所と出会うことは難しい。
いろいろ考えて、いざ出かけた場所で思惑通りの釣果があれば、そこが即自分の新しいポイントになるだろう。
しかし、そんな幸運は滅多にない。
初めての場所で釣れなかったら、多くは二度とそこに足を運ばないかも知れぬ。
しかしだ、その場所はとても可能性を秘めた場所であり、その時はたまたまジアイではなかったのだとしたら、
とても残念なことである。
釣れても釣れなくても、その場所の可能性と魅力を感じ読み取れる目が肝要なのだろう。
その目を鍛えること、それが釣りを深めるということかも知れない。
小生の場合、メバルを初めて数年であるが、
ラッキーなことに、3年前の春、師匠つーさんと越前海岸の彼のポイントにメバルを釣りに出かけ、
デカメバルの爆釣というのを体験した。
28センチを頭に25センチオーバーのオンパレード、40匹であった。
投げても投げてもそのサイズだった。
驚き、血は逆流、もう祭りのような釣りとなった。
その後、輪島に帰ってきて考えてみた。
輪島近辺では25センチ以上を釣ったことはなかったし
そのサイズの上のレベル(デカメバル)の爆釣なんて
他の釣り師たちからも、聞いたことがなかった。
しかし、越前海岸と能登外浦の環境はそう変わらない。
同じ日本海の荒磯である。
越前で釣れて、能登で釣れない筈はない。
デカメバルは必ずいる。
そう確信した。
で、いろいろ考えてみた。
考えているうちに、ふと、ある友人と前年クロダイ釣りに行ったことを思い出した。
その友人はクロダイ釣りの名人で、彼のポイントに一緒に出かけた。
勿論、生餌でのウキ釣りであって、クロダイも釣れたが、外道ででかいメバルが数匹釣れたのだ。
クロダイ師の彼も外道たちの大きさに驚き、わざわざ計ってみたのだが、一番でかいやつは29センチだった。
わざわざメバルを狙いに行くようなポイントではないが、
確かにでかいメバルが釣れた場所だ。
そのことに気がついたのは、既に春のシーズンが終わってからだった。
晩秋になって、そのポイントにでかけてみた。
数度でかけたが、殆どはアタリさえなく、一度偶然のように27センチが1匹釣れたくらいだった。
でも、確かにデカメバルはいたのだし、
そのポイントは他が凪ぎでも流れが複雑に合流してサラシが出来ており、
何か得たいの知れぬ大物が潜んでいそうな雰囲気に溢れていた。
年を越しても数度足を運ぶが、日本海の冬の海である。
寒いは荒れているわで、釣りにならなかった。
で、2月の終わり。
幾分波が収まり、比較的気温が高い日を選んで出かけてみた。
越前でのデカメバル爆釣は大きくて重いプラグ(6センチ7グラム)を初めて使ってみて、それがうまくいったので、能登でもそれで行こうと思っていた。
能登外浦の荒い海ではメバル用の3グラムクラスのプラグは使いにくかった。
で、ブルースコードC60をキャストした。
すると、ヒットした。28センチ~25センチが6匹。
爆釣ではなかったが、サイズが揃っていて、初めてデカメバルが釣れたという実感と、
ここがデカメバルのポイントであるという確信を得ることが出来た。
そうして数日後の3月2日の満月の日。
それは自分にとって記念すべき日となった。
所謂の爆釣ではなく、数匹釣れては間があき、また数匹という風に小さい爆釣が断続的に続いた。
ルアーはやはり6センチ7グラムクラスのプラグ、目一杯遠くへフルキャストした。
ジグヘッドや3グラムのプラグでは届かないところ。
そこでヒットした。
何匹目かに一際デカイのが釣れてクーラーボックスに入れ、次のキャストのリトリーブの最中、
さっきのはひょっとしてと、釣りを中断して計ったみたところ、やはり30センチを超えていた。
31.5センチ。自分ながら信じられなかったが、事実であった。
そのことがピンと来ないまま、粘っているとまたデカイのがかかった。
そいつは一際重く、引きも強かった。ドラグが鳴った。
なんと32センチだった。
結局、その日の釣果は尺2匹、29センチ、28.5センチ、27センチ2匹、25センチ数匹、計18匹だった。
初めての尺、それも2匹。こんなことがあるのか・・・茫然自失、足が震えた。
その後、デカメバルは釣れるものの、なかなか尺には届かなかったが、
4月23日、再び尺と出会うことになった。31センチだった。
こうしてこの場所は小生にとってのデカメバルのサンクチュアリと言うべきポイントとなった。
その後も沢山ではないが、尺を釣り続けることが出来た。
決して、メバル釣りがうまいのではない。
場所と出会ったお陰である。
かといって、この場所に行けばデカメバルや尺が釣れるかと言うと
決してそうでもない。
ここで所謂の爆釣というのを体験したのは1~2度しかない。
殆どは、粘り、考え、いろいろやっているうちにかろうじて釣れるのである。
ここで、5~6時間粘るのは稀ではない。
粘れる場所なんである。
どこかにいる、という確信がある。
だから粘れるんである。
小生の場合、粘るというより、気がついたら5時間経っていた、という感じなのであって、
決して、がんばって粘る、というものではない。
小生は基本的にがんばるのが嫌いなんである。
仕事でも何でも、がんばらないんである。
がんばると病気になっちまうとも思っている。
その日のパターンというものがある。
浅いところか、深いところか、近くか、遠くか、ストラクチャーの傍か、サラシの際か、どのラインで、方向は、
プラグかワームか、プラグの種類、ワームの種類、早く引くのか、遅く引くのか・・・・・・
いろいろ考え、やってみる。
いろいろやっているうちに2時間くらいはあっという間に経っちまう。
で、いろいろやっているうちに1つのパターンにわずかな魚信。
その一点だけに反応がある。そこに集中する。
そこからワンキャスト一匹のヒットが始まったりするんである。
或いは、全く駄目だったり。
言えることは、釣れないからこそ、いろいろ考えやってみる。
そのことが釣りを上達させ、そのポイントのことを詳しく知ることになる。
また、釣れると単にお祭り騒ぎだが、釣れないと人生を考えたり、哲学をさせてくれたりもする。
いっぱしの釣り師というものは釣れない日々を数多く重ねて、
その、もの言わぬ渋い背中には多くの哲学が幾重にも垢のように沁み込んでいるのだ。
(うっしゃ!!いっぱしの釣り師になりて~~)
ポイントを教えてくれと簡単に言う人がいる。
でもそんな人には教えないことにしている。
魚を釣り上げること、釣りはそれだけじゃあない。
自分で考え自ら場所と出会う。
場所と付き合い、仲良しになる。
そうして自分のポイントが育つのである。
同時に、自分の釣りも育つのである。
その過程が楽しいのであり、釣りの醍醐味なんだと。
小生にしてもポイントを数多く知っているわけではない。
いや、能登外浦に点在する数多くの魅惑的な磯の殆どは未知の領域といっていい。
メバルを始めて4年目、まだまだ、これからなんである。
新しいポイントを開拓すること。
それが今年の最大の課題である。