このところ凪ぎ続きだった海が少し荒れて来たという。
それを待っていた。
メバル釣りである。
もう久しくメバル釣りから遠ざかっていた。
4月5月のいい時期に仕事に追われていた。
3月30日、女釣り師と尺メバルを釣ったあの記憶が蘇る。
あのメバルのアタリ、アタックの衝撃、引きの手応え、あの魚体、まん丸い目、それらが身体中を巡り、もういても立ってもいられない。
勿論、そのポイントへと向かった。
釣り座に立ってみると我が期待はあっさり裏切られ、海は静かに凪いでいた。
でもベタ凪ではなかったし、魚の気配は感じることができた。
風も強いが、追い風だった。
ともかくジグヘッドにガルプ、ベビィサーディン白を付け投げてみる。
近くまで引いて来てコン!ときた。
小さいが明確な魚信、これがメバルのアタリである。
次のココン、で合わせる。乗った。が、軽い。18センチだった。海に戻す。
ふむ、魚がいないわけじゃなさそうだ。
二投目、またアタリ。でもちょっと違う、続けざまに当って来るが乗らない。
フグだった。ガルプはズタズタにちょん切られていた。
ならば、とプラグを付けた。
一投目、ヒット。23センチ。
久しぶりのメバルである。でかくはないがこの顔、このデカイ目、握った感触、なんだか嬉しい。
今回このサイズは煮付け用に持ち帰ることに。
うまいんだなこれが。
しかしその後は当らない。
プラグの質を変えてみる。深いレンジを狙えるやつ。
底まで落としリフトアンドフォール。
と、掛かった。
これも23センチ。
しかしその後は当らない。
またプラグの質を変えてみる。表層だが小さいやつ。
飛ばないので飛ばしウキでやってみる。
掛かった。でも20センチ弱。海に戻す。
その後、数匹。どれも小さい。
暫くするとプラグでも反応はなくなってしまった。
何となく思うのはルアーは小さい方がいいような・・・・
ベイトが小さいのだと想像する。
大きめのプラグやワームが効果を発揮するのはやはり荒れて活性の高い時だ。
海が静かなとき、大きいベイトは捕らえにくいのだろうし、メバル自身警戒心もあるのだろう、小さいルアーのほうが有利、というのが私の経験だ。
フグが去ったことを祈って、再びジグヘッドにガルプでやってみる。
一投目からガツンと引ったくって来た。23センチ赤。
どうやらフグはいないようだった。
数投目、また来た。今度は案外の引き。25センチ。ブルー。
暫くしてまた。24センチ。ブルー。
その後、小さいのは掛かるもののサイズが出ない。そのうち突然のように反応がなくなった。方向を変え、レンジを変えても同じである。
ともかく25を超えるやつにお目にかかりたいと思う。
魚がいないわけではない。どこかにきっといる。でも食いついては来ない。
そいつを引き出すことができない。
で、ワームを変えてみる。以前買ったものの釣れそうになく使わなかった、クルリと尾っぽを巻いた大型のワーム。デカイのを狙って。
と、やはり一投目で来た。が、やはりサイズは伸びない。23センチ。
で、案の定、そのアタリだけだった。
ふむ。
ここでちょっと休憩。ポットに詰めて来た熱いお茶を飲み、煙草を一服。
天頂近く白鳥座がゆったりと翼を広げ、ベガもアルタイルも美しく瞬いている。
もう夏なのだと気がついた。
後ろを振り向くと、山の端近く、アンタレスが「おれもいるよ」と赤く輝いていた。
凪では釣れないというのが小生の常識になっているが、本当にそうなのか、それは思い込みではないのか、という思いが引っぱる。
それでいろいろやってみる。でも小さいのは釣れるもののやはりデカイのは来ない。
活性が高くどんどん釣れている時はルアーを変える必要はない。同じやつの方がいい。
でも活性が低い時、ルアーを変えることは当たり前のこと。
種類や色など、いろいろとやってみる。
でも今回のようにそれが際立ったことはこれまでにない経験だ。
ルアーを変えた1.2投だけに反応があり、その後はなくなる。
そのパターンである。
それは魚はいるが食いつかないというまさに活性の低さを現している。
魚たちに余裕がある。もう何が何でも食いつきたいという状況ではないのだ。
私がメバルだとしても、初めて見る魚のようなものに、おっ!なんだ、なんだ、と近寄り思わずパクッとやることがあるにしても、同じやつが同じように泳いで来たら、ふん、と興味を示さないだろう。
もうやめようと思っていたところ、ジグヘッドボックスに入っていた自作のカブラを発見。最後にそれでやってみることに。
私はジグヘッドを自分で作ったりするが(安上がりなので)、そのついでに作ってみたやつだ。
作っては見たがどうにも釣れる気がせず使わなかった。
ステンボーシンカーを付けて投げてみると
あんりゃりゃ、一投目から食いついた。しかも活性のあるアタリだった。しかし、また23センチ。
そして連続ヒット。
いや驚いた。自作の適当に作ったカブラである。これほど効果があるとは思っても見なかった。
自作のカブラを改めてよく見た。
意識はしていなかったが、これはエビなんだと思った。
凪の澄んだ海ではやはり小さいものを食っている。エビは御馳走なのだ。
結局、それがその日一番アタリが長引いたルアーだった。
尺を狙ったが、それどころか25センチアップも釣れなかった。
しかしだ、
狙った通りデカイのが釣れるのは嬉しいに違いないが、それだけが釣りではない。
結果よりもナマの時間と体験である。
海や魚たち、空や星たちとどれだけの会話が出来たのか、
なにか新しい発見があったか、
心ゆくまで遊べたか、
そしてさらに言うなら、自分自身と出会えたか。
それらのことがいい釣りだったかどうかのキーワードだと思っている。
バケツに入った10匹のメバルたち。
メバルたちの顔を眺めているうちにふと思ったことがある。
こいつたちも放射能に汚染されているかも知れないなと。
3月11日を境に世界は変わっちまった。
これからも海の汚染は広がり続けるに違いない。
しかし、私はこのメバルを食おうと思う。
海とこの魚たちとこの先、死ぬまで付き合っていこう
と、強く思った。
それを待っていた。
メバル釣りである。
もう久しくメバル釣りから遠ざかっていた。
4月5月のいい時期に仕事に追われていた。
3月30日、女釣り師と尺メバルを釣ったあの記憶が蘇る。
あのメバルのアタリ、アタックの衝撃、引きの手応え、あの魚体、まん丸い目、それらが身体中を巡り、もういても立ってもいられない。
勿論、そのポイントへと向かった。
釣り座に立ってみると我が期待はあっさり裏切られ、海は静かに凪いでいた。
でもベタ凪ではなかったし、魚の気配は感じることができた。
風も強いが、追い風だった。
ともかくジグヘッドにガルプ、ベビィサーディン白を付け投げてみる。
近くまで引いて来てコン!ときた。
小さいが明確な魚信、これがメバルのアタリである。
次のココン、で合わせる。乗った。が、軽い。18センチだった。海に戻す。
ふむ、魚がいないわけじゃなさそうだ。
二投目、またアタリ。でもちょっと違う、続けざまに当って来るが乗らない。
フグだった。ガルプはズタズタにちょん切られていた。
ならば、とプラグを付けた。
一投目、ヒット。23センチ。
久しぶりのメバルである。でかくはないがこの顔、このデカイ目、握った感触、なんだか嬉しい。
今回このサイズは煮付け用に持ち帰ることに。
うまいんだなこれが。
しかしその後は当らない。
プラグの質を変えてみる。深いレンジを狙えるやつ。
底まで落としリフトアンドフォール。
と、掛かった。
これも23センチ。
しかしその後は当らない。
またプラグの質を変えてみる。表層だが小さいやつ。
飛ばないので飛ばしウキでやってみる。
掛かった。でも20センチ弱。海に戻す。
その後、数匹。どれも小さい。
暫くするとプラグでも反応はなくなってしまった。
何となく思うのはルアーは小さい方がいいような・・・・
ベイトが小さいのだと想像する。
大きめのプラグやワームが効果を発揮するのはやはり荒れて活性の高い時だ。
海が静かなとき、大きいベイトは捕らえにくいのだろうし、メバル自身警戒心もあるのだろう、小さいルアーのほうが有利、というのが私の経験だ。
フグが去ったことを祈って、再びジグヘッドにガルプでやってみる。
一投目からガツンと引ったくって来た。23センチ赤。
どうやらフグはいないようだった。
数投目、また来た。今度は案外の引き。25センチ。ブルー。
暫くしてまた。24センチ。ブルー。
その後、小さいのは掛かるもののサイズが出ない。そのうち突然のように反応がなくなった。方向を変え、レンジを変えても同じである。
ともかく25を超えるやつにお目にかかりたいと思う。
魚がいないわけではない。どこかにきっといる。でも食いついては来ない。
そいつを引き出すことができない。
で、ワームを変えてみる。以前買ったものの釣れそうになく使わなかった、クルリと尾っぽを巻いた大型のワーム。デカイのを狙って。
と、やはり一投目で来た。が、やはりサイズは伸びない。23センチ。
で、案の定、そのアタリだけだった。
ふむ。
ここでちょっと休憩。ポットに詰めて来た熱いお茶を飲み、煙草を一服。
天頂近く白鳥座がゆったりと翼を広げ、ベガもアルタイルも美しく瞬いている。
もう夏なのだと気がついた。
後ろを振り向くと、山の端近く、アンタレスが「おれもいるよ」と赤く輝いていた。
凪では釣れないというのが小生の常識になっているが、本当にそうなのか、それは思い込みではないのか、という思いが引っぱる。
それでいろいろやってみる。でも小さいのは釣れるもののやはりデカイのは来ない。
活性が高くどんどん釣れている時はルアーを変える必要はない。同じやつの方がいい。
でも活性が低い時、ルアーを変えることは当たり前のこと。
種類や色など、いろいろとやってみる。
でも今回のようにそれが際立ったことはこれまでにない経験だ。
ルアーを変えた1.2投だけに反応があり、その後はなくなる。
そのパターンである。
それは魚はいるが食いつかないというまさに活性の低さを現している。
魚たちに余裕がある。もう何が何でも食いつきたいという状況ではないのだ。
私がメバルだとしても、初めて見る魚のようなものに、おっ!なんだ、なんだ、と近寄り思わずパクッとやることがあるにしても、同じやつが同じように泳いで来たら、ふん、と興味を示さないだろう。
もうやめようと思っていたところ、ジグヘッドボックスに入っていた自作のカブラを発見。最後にそれでやってみることに。
私はジグヘッドを自分で作ったりするが(安上がりなので)、そのついでに作ってみたやつだ。
作っては見たがどうにも釣れる気がせず使わなかった。
ステンボーシンカーを付けて投げてみると
あんりゃりゃ、一投目から食いついた。しかも活性のあるアタリだった。しかし、また23センチ。
そして連続ヒット。
いや驚いた。自作の適当に作ったカブラである。これほど効果があるとは思っても見なかった。
自作のカブラを改めてよく見た。
意識はしていなかったが、これはエビなんだと思った。
凪の澄んだ海ではやはり小さいものを食っている。エビは御馳走なのだ。
結局、それがその日一番アタリが長引いたルアーだった。
尺を狙ったが、それどころか25センチアップも釣れなかった。
しかしだ、
狙った通りデカイのが釣れるのは嬉しいに違いないが、それだけが釣りではない。
結果よりもナマの時間と体験である。
海や魚たち、空や星たちとどれだけの会話が出来たのか、
なにか新しい発見があったか、
心ゆくまで遊べたか、
そしてさらに言うなら、自分自身と出会えたか。
それらのことがいい釣りだったかどうかのキーワードだと思っている。
バケツに入った10匹のメバルたち。
メバルたちの顔を眺めているうちにふと思ったことがある。
こいつたちも放射能に汚染されているかも知れないなと。
3月11日を境に世界は変わっちまった。
これからも海の汚染は広がり続けるに違いない。
しかし、私はこのメバルを食おうと思う。
海とこの魚たちとこの先、死ぬまで付き合っていこう
と、強く思った。