私が毎週楽しみにしているメルマガ『ロシア政冶経済ジャーナル』。
最新号にて歴史的なニュースについてわかりやすく解説してくれていました。
舞台は欧州ですが、
日本にとっても非常に重要なことなので、
1人でも多くの人に知っていただきたく、北野氏の記事を転載させていただきます。
『ロシア政冶経済ジャーナル』No.629より
以下転載↓
では、本題。
北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議が19~20日、ポルトガ
ルの首都リスボンで開かれました。
20日には、2年半ぶりに首脳級のNATO-ロシア理事会も開か
れ、NATOとロシアは和解にむけて大きく前進しました。
事情を知る人にとっては、【歴史的】できごとであります。
今回は、これが意味するところを考えてみましょう。
▼NATOとロシアの関係史
まず、基本をおさえておきましょう。
NATOって何?
NATOは1949年、アメリカ、カナダ、西欧諸国の計12カ国で発足し
ました。
当時は冷戦がはじまったばかりであり、ターゲットは当然ソ連。
冷戦時代、アメリカを中心とするNATO、ソ連を中心とするワルシ
ャワ条約機構が、欧州で対峙していたのです。
1989年、東欧民主革命。
冷戦は終結にむかい、1991年7月、ワルシャワ条約機構は解体
しました。
1991年12月には、ソ連が崩壊。
これで、対ソ連を目的につくられたNATOの役割は終わったはずで
した。
しかし、NATOはその後も存続しつづけたばかりか、かつてソ連の
支配下にあった東欧、旧ソ連バルト3国を次々と加盟させ、巨大化
していきます。
加盟国は現在28カ国。
さて、ロシアとの関係はどうなのでしょうか?
2001年9.11が起こった時、プーチン大統領(当時)は、アメリカを
全面的に支持しました。
同年起こったアフガン戦争にも協力。
米ロ関係は、プーチン政権の初期、非常に良好だったのです。
それで2002年、NATOとロシアの意思決定機関「NATOーロシア
理事会」が設立されました。
しかし、米ロ関係はその後最悪になっていきます。
まず、ロシアは、同じくイラクに石油利権をもつフランス・中国と
ともに、アメリカの「イラク戦争」に最後まで反対しました。
しかし、アメリカは、国連安保理常任理事国(拒否権をもつ)ロ
仏中の反対を無視してイラクを攻撃した。
イラクを抑えた(と思った)アメリカは、次に石油・ガス大国ロシ
アの石油最大手(当時)ユコス買収、同国の石油利権支配を
目指します。
しかし、プーチンは、ユコスのホドロコフスキー社長を逮捕させ、
アメリカの野望を阻止。
怒ったアメリカは、旧ソ連のグルジア、ウクライナ、キルギスで革
命を起こし、親米反ロ傀儡政権を樹立していきました。
この動きに激怒したプーチンは05年、仮想敵NO2中国との同盟を
決意。
中国とロシアは一体化して、アメリカ幕府を崩壊させていきます。
07年2月。
(RPE読者さん以外の)日本国民は誰ひとり知らなかった。
しかし、アメリカ幕府没落は決定事項になっていました。
この年この月、プーチンはミュンヘンで開かれた安全保障会議でこん
な演説をしています。
プーチン「一極世界も成立しなかった。どんなに言葉を飾っても、(一
極世界の)意味するところは一つだ。
一つの権力の中心、一つの力の中心、一人の主・一人の主権者の世
界。
これはシステム自体にとっても、主権者自身にとっても破滅的だ。
なぜなら、内部から崩壊するからだ。」
プーチン「今の世界にとって、一極モデルは受け入れがたいだけでは
ない、不可能なのだ!」
「(一極世界は)民主主義とは何の共通点もない。なぜなら民主主義
は、大多数の権力だからだ!」
「民主主義を他者に教える人々は、自分たちでそれを学ぼうとしない!」
プーチンは、この時点でアメリカの没落を確信していたのです。
そして07年、サブプライム危機が起こった。
怒り狂うアメリカ。
08年8月、親米反ロ傀儡政権のグルジアとロシアが戦争。
当たり前のことですが、ロシアは圧勝。
そして08年9月、リーマンショッ…
クが起こり、アメリカの没落が誰の
目にも見えるようになっていきました。
さて、NATOとロシアの関係は、グルジア戦争で最悪になった。
それで、NATO-ロシア理事会は、08年から停止状態だったので
す。
それが今回再開された。
なんで?
▼NATO-ロシア理事会再開の理由
グルジア戦争で最悪になったアメリカーロシア、NATO-ロシアの
関係が改善されてきた。
その理由はなんでしょうか?
< こうした変化をもたらした要因には、ロシアが反発してきた旧
ソ連圏のグルジアとウクライナのNATO加盟の動きが止まったこ
とに加え、米国がMD計画を見直したことがある。>
(産経新聞 11月21日)
ロシアはこれまで、
1、(旧ソ連でロシアの隣国)グルジア・ウクライナをNATOにいれる
な!
と主張してきた
しかし、ウクライナには、04年のオレンジ革命で誕生した親米反ロ
傀儡政権はない。
現政権は比較的親ロで、NATO加盟を目指していません。
グルジアはいまだにアメリカの傀儡ですが、NATOにはしばらく加盟
できそうにありません。
なぜかというと、欧州はグルジアのためにロシアと戦争したくないの
です。
2、欧州MD計画に絶対反対!と主張してきた
アメリカは、「欧州のMDは、対イラン、対北朝鮮だ!」と主張。
ロシアは、「アホなこというな!イランにはそんなミサイルはない。北
朝鮮のミサイルがユーラシアを横断して欧州に届くというのか??
バカにするな!」
と反発していました。
この二つが、NATO-ロシア関係の障害になっていた。
で、MD問題はどうなったの?
(続く)
最新号にて歴史的なニュースについてわかりやすく解説してくれていました。
舞台は欧州ですが、
日本にとっても非常に重要なことなので、
1人でも多くの人に知っていただきたく、北野氏の記事を転載させていただきます。
『ロシア政冶経済ジャーナル』No.629より
以下転載↓
では、本題。
北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議が19~20日、ポルトガ
ルの首都リスボンで開かれました。
20日には、2年半ぶりに首脳級のNATO-ロシア理事会も開か
れ、NATOとロシアは和解にむけて大きく前進しました。
事情を知る人にとっては、【歴史的】できごとであります。
今回は、これが意味するところを考えてみましょう。
▼NATOとロシアの関係史
まず、基本をおさえておきましょう。
NATOって何?
NATOは1949年、アメリカ、カナダ、西欧諸国の計12カ国で発足し
ました。
当時は冷戦がはじまったばかりであり、ターゲットは当然ソ連。
冷戦時代、アメリカを中心とするNATO、ソ連を中心とするワルシ
ャワ条約機構が、欧州で対峙していたのです。
1989年、東欧民主革命。
冷戦は終結にむかい、1991年7月、ワルシャワ条約機構は解体
しました。
1991年12月には、ソ連が崩壊。
これで、対ソ連を目的につくられたNATOの役割は終わったはずで
した。
しかし、NATOはその後も存続しつづけたばかりか、かつてソ連の
支配下にあった東欧、旧ソ連バルト3国を次々と加盟させ、巨大化
していきます。
加盟国は現在28カ国。
さて、ロシアとの関係はどうなのでしょうか?
2001年9.11が起こった時、プーチン大統領(当時)は、アメリカを
全面的に支持しました。
同年起こったアフガン戦争にも協力。
米ロ関係は、プーチン政権の初期、非常に良好だったのです。
それで2002年、NATOとロシアの意思決定機関「NATOーロシア
理事会」が設立されました。
しかし、米ロ関係はその後最悪になっていきます。
まず、ロシアは、同じくイラクに石油利権をもつフランス・中国と
ともに、アメリカの「イラク戦争」に最後まで反対しました。
しかし、アメリカは、国連安保理常任理事国(拒否権をもつ)ロ
仏中の反対を無視してイラクを攻撃した。
イラクを抑えた(と思った)アメリカは、次に石油・ガス大国ロシ
アの石油最大手(当時)ユコス買収、同国の石油利権支配を
目指します。
しかし、プーチンは、ユコスのホドロコフスキー社長を逮捕させ、
アメリカの野望を阻止。
怒ったアメリカは、旧ソ連のグルジア、ウクライナ、キルギスで革
命を起こし、親米反ロ傀儡政権を樹立していきました。
この動きに激怒したプーチンは05年、仮想敵NO2中国との同盟を
決意。
中国とロシアは一体化して、アメリカ幕府を崩壊させていきます。
07年2月。
(RPE読者さん以外の)日本国民は誰ひとり知らなかった。
しかし、アメリカ幕府没落は決定事項になっていました。
この年この月、プーチンはミュンヘンで開かれた安全保障会議でこん
な演説をしています。
プーチン「一極世界も成立しなかった。どんなに言葉を飾っても、(一
極世界の)意味するところは一つだ。
一つの権力の中心、一つの力の中心、一人の主・一人の主権者の世
界。
これはシステム自体にとっても、主権者自身にとっても破滅的だ。
なぜなら、内部から崩壊するからだ。」
プーチン「今の世界にとって、一極モデルは受け入れがたいだけでは
ない、不可能なのだ!」
「(一極世界は)民主主義とは何の共通点もない。なぜなら民主主義
は、大多数の権力だからだ!」
「民主主義を他者に教える人々は、自分たちでそれを学ぼうとしない!」
プーチンは、この時点でアメリカの没落を確信していたのです。
そして07年、サブプライム危機が起こった。
怒り狂うアメリカ。
08年8月、親米反ロ傀儡政権のグルジアとロシアが戦争。
当たり前のことですが、ロシアは圧勝。
そして08年9月、リーマンショッ…
クが起こり、アメリカの没落が誰の
目にも見えるようになっていきました。
さて、NATOとロシアの関係は、グルジア戦争で最悪になった。
それで、NATO-ロシア理事会は、08年から停止状態だったので
す。
それが今回再開された。
なんで?
▼NATO-ロシア理事会再開の理由
グルジア戦争で最悪になったアメリカーロシア、NATO-ロシアの
関係が改善されてきた。
その理由はなんでしょうか?
< こうした変化をもたらした要因には、ロシアが反発してきた旧
ソ連圏のグルジアとウクライナのNATO加盟の動きが止まったこ
とに加え、米国がMD計画を見直したことがある。>
(産経新聞 11月21日)
ロシアはこれまで、
1、(旧ソ連でロシアの隣国)グルジア・ウクライナをNATOにいれる
な!
と主張してきた
しかし、ウクライナには、04年のオレンジ革命で誕生した親米反ロ
傀儡政権はない。
現政権は比較的親ロで、NATO加盟を目指していません。
グルジアはいまだにアメリカの傀儡ですが、NATOにはしばらく加盟
できそうにありません。
なぜかというと、欧州はグルジアのためにロシアと戦争したくないの
です。
2、欧州MD計画に絶対反対!と主張してきた
アメリカは、「欧州のMDは、対イラン、対北朝鮮だ!」と主張。
ロシアは、「アホなこというな!イランにはそんなミサイルはない。北
朝鮮のミサイルがユーラシアを横断して欧州に届くというのか??
バカにするな!」
と反発していました。
この二つが、NATO-ロシア関係の障害になっていた。
で、MD問題はどうなったの?
(続く)