2011年3月11日の東日本大震災により2年以上延期していた奥細道の松島~石巻~登米~平泉~一関~岩出山の旅の出かけてきた。石巻では、市のシンボルとでもいうべき日和山公園へ。標高は50m程の丘であるが、海から旧北上川にかけての市の眺望が素晴らしい。もともと石巻城址で、今は鹿島神社がある。折しも桜が満開!しかし、海側(南側)に眼をやると、津波に押し流されてほとんど更地になった景色が目に入る。旧北上川河口の西側は、残されたお寺と墓地が見えるだけ。土地の方が、「お寺の外観構造は残っているが、中はがらんどう」と言っていた。河口の東側はもともと工場地帯だったのか、ぽつぽつ建物が建ち始めていた。この日和山公園は芭蕉も立ち寄ったところで、句碑がある。当時は、米等の物資を北上川の水運を利用して集め、更に江戸等に向けて船で送り出す所として大いに栄え、芭蕉達もその賑わいに感銘を受けたようである。被災地を実地に見るために、日和山公園を降りて津波に洗われた地に立ってみた。外観が残っている建物も近寄ってみると、見るも無残でまさに殻だけ残っているという感じである。旧北上川沿いを歩いてゆくとまだ撤去されていない破壊された住宅もかなりあり、識別のために壁に赤色で数字が書かれていた。郊外には仮設住宅暮らしの方がまだ大勢いるようだ。しかし、復興の息吹も感じる。生産を開始している企業もある。市の中心部は、それなりに人通りがある。街の再生を祈りたい。
先週、しまなみ海道サイクリングに出かけてきた。8年振りになる。雨の中を出発し、雨の中を帰着することになったが、現地は好天で快適なサイクリングができ、また満開の桜をあちこちで見るお花見の旅ともなる。穏やかな春の海は、まさに「春の海 ひねもすのたり のたりかな」の感。
国立劇場前の桜が開花
国立劇場前には珍しい種類の桜が植えられており、例年時期になるとさくら祭りが開かれる。今年は3.29-4.7とのこと。お茶の接待がある。すぐそばには名高い千鳥ヶ淵の桜並木があるが、こちらはピンク色に染まり始めた頃でこれからの開花であろう。
国立劇場前には珍しい種類の桜が植えられており、例年時期になるとさくら祭りが開かれる。今年は3.29-4.7とのこと。お茶の接待がある。すぐそばには名高い千鳥ヶ淵の桜並木があるが、こちらはピンク色に染まり始めた頃でこれからの開花であろう。
寒い日も少なくなり、ようやく春の訪れを感じられる季節になりました。ここ、皇居の平川門を入ったところの梅が満開です。ここから太田道灌が最初に梅を植えたと伝えられる梅林坂を上ると、本丸跡の広場にでます。今日は多くの人が暖かい日の中、散策していました。
二年前の4月に奥の細道を歩き始めてから12回に分けて歩き、今年の9月に福井県の敦賀市まで到達した。現在までの歩行距離は約1700Km強。但し、一昨年の3.11大震災の影響で、松島~石巻~平泉~岩出山間は未だ残っている。おそらく後2回で完歩できるのではなかろうか。最北の秋田県象潟から敦賀までは、日本海沿岸を歩く(約900Km)。その土地その土地の風土や文化に少しばかり触れることができた。冬は寒い寒い地域だが、それ以外の季節ではかなり豊かな土地柄ではないかというという印象を持った。食べ物もおいしく、温泉も多くて良かった! (写真:福井県あわら市付近のそば畑)
松尾芭蕉が訪れた石川県小松市郊外にある那谷寺を訪れた。ここは岩山や洞窟があって、景色は中国の山水画を彷彿とさせる。もともと白山信仰から生まれた地で、奈良時代に寺院となった。平安時代中期に花山法皇が行幸された折、岩窟内で光り輝く観音三十三身の姿を感じられ、法皇は「私が求めている観音霊場三十三カ所はすべてこの山にある」と言われ、西国三十三カ所の第1番・那智山の「那」と第33番・谷汲山の「谷」をとって「那谷寺」と改め、自ら中興の祖とされました。 芭蕉の句: 岩山の 石より白し 秋の風
古都金沢は、やはりいろいろと見る所がある。仕事では何度か来たが、観光したことはほとんどない。金沢城址、兼六園公園、武家屋敷、東山茶屋街、美術館類等等。市内を流れる浅野川は京都の鴨川にも比することができよう。浅野川の東は、東山と呼ばれ、金沢の豪商達が遊んだ茶屋街がある。
倶利伽羅峠は、富山県高岡市と金沢市の間にあり、古くから越中と加賀を結ぶ交通要路であった。特に、木曾で挙兵した木曾義仲が牛の角に松明をつけて平家を谷に追い落とした古戦場として有名である。峠には1300年前に建立された倶利伽羅不動寺があり、日本三不動尊の一つとして信仰を集めている。ここはまた砺波山(標高約260m)と呼ばれ、古人が盛んに歌に詠んだ地でもある。
富山県は、立山・剣岳など北アルプスを背後に持つ山の県である。と同時に、豊かな富山湾を抱える海の県でもある。明治時代末に創立された富山商船高等専門学校(富山商船)があり、長らく海へ出る若者を教育してきたが、数年前に富山工業高等専門学校と統合され、富山高等専門学校となった。また、海を志す若者が乗っていた練習船海王丸が、引退後富山新港に係留されその優美な姿を留めている。
(写真背景の橋:富山新港をまたぐ建設中の橋梁)
(写真背景の橋:富山新港をまたぐ建設中の橋梁)