街道を歩く

日本の街道を歩き、その旅の思いを綴る

二日目

2008-09-30 19:42:56 | Weblog
今日は、塩名田という所から和田宿まで約27Kmの行程。この間に五つの宿場があったが、今でも人家はある。なるべく旧道を歩く。またこの辺りは、米作りが盛んでちょうど黄金の穂波あちこちに見られた。皇女和宮に関する記事が多い。27日間かけて中山道を京都から江戸まで旅したそうだ。京都側の人間が一万人、幕府側の人間が一万五千人が動いたとのこと。和田宿では、和宮が宿泊した前後四日間におよそ八万人が通ったと言われる。地域にとって大変な負担となったと想像される。実際歩いてみると、峠ごえが多く、狭い道ありで、沢山の人と物資で、しかも女性が多く、いったいどのように実施されたのか、驚異である。中山道の歴史の中で、和宮の東下は最大のイベントと言ってよいのではないかと思った。

再び中山道へ

2008-09-29 20:05:31 | Weblog
今回は、軽井沢から下諏訪まで約70Kmを3日で歩く計画。ハイライトは、1600mの和田峠越え。標高950mの軽井沢から、600mの佐久平に降り、千曲川を渉って和田峠を越えるもの。今日は、一日中シトシト雨で浅間も見えず。約29Km歩いた。

板橋

2008-09-03 21:29:12 | Weblog
東京日本橋から中山道第一番目の宿、板橋宿まで歩いた。気温は30度以上で、夏がぶり返したような日よりである。秋葉原をかすめて、神田明神前、江戸時代に昌平坂学問所のあった湯島聖堂の横を抜け、本郷通りに入って、東大弥生門前から白山通りに入る。ちなみに、“弥生時代”という名前は、明治時代にこの文京区本郷向ケ丘弥生町でいわゆる弥生式土器が発見されたことにちなむそうだ。東洋大前を通過して、巣鴨駅を越えると“おばあちゃんの原宿”と言われるとげぬき地蔵前商店街に達した。確かにおばあちゃんが多い。地蔵尊で休息した後、1Kmほどゆくと、都内で唯一残っている都電荒川線と交差する。更に2Km位ゆくと、板橋宿、旧中山道の表示が現れた。1Km程、旧道に沿った商店街が続く。昔は大きな宿場町であったろうと想像される。この通りの中ほどに、板橋という地名の由来になった木の橋が復元されてある。ここまで10.6Kmで、約16千歩。夏の間あまり歩いていないせいか、これだけで足が痛くなる。