街道を歩く

日本の街道を歩き、その旅の思いを綴る

平泉

2013-05-26 11:59:03 | Weblog
ご承知のように、平泉は一昨年世界遺産に登録された。先月の連休前に平泉を訪れたが、連休前もあって、たくさんの人々が観光にきていた。毛越寺では、金鶏山のふもとの広大な敷地に浄土庭園が残されている。かっていくつかあった寺院の建物はその礎石を残すのみである。庭の一角には鑓水も流れており、曲水の宴が開かれることもある。大変美しく、心和む場所である。中尊寺、無量光院跡、毛越寺、そしてこの毛越寺に隣接する観自在王院跡等を見ると、かっての藤原氏の権勢の凄さが偲ばれる。

明治の面影

2013-05-20 21:00:28 | Weblog
宮城県登米町は内陸の北上川沿いにあり、小さな旧城下町で、北上川の水運でも栄えた所。明治時代には登米県として県庁も置かれ、明治時代の小学校、県庁、警察署、武家屋敷等古い建物等が大切に保存されている。写真は小学校の建物。

津波の威力

2013-05-14 15:29:48 | Weblog
北上川の左岸の堤防道路にあがり、川の眺めのよいところを歩いていた。宮城県の登米町を過ぎたあたりで写真にある看板を見つけた。2011年3月11日の大震災による津波が河口から32Kmのこの地点まで押し寄せ、水位が43cm上昇したとの記録である。凄いものだ。

石巻

2013-05-09 22:33:36 | Weblog
2011年3月11日の東日本大震災により2年以上延期していた奥細道の松島~石巻~登米~平泉~一関~岩出山の旅の出かけてきた。石巻では、市のシンボルとでもいうべき日和山公園へ。標高は50m程の丘であるが、海から旧北上川にかけての市の眺望が素晴らしい。もともと石巻城址で、今は鹿島神社がある。折しも桜が満開!しかし、海側(南側)に眼をやると、津波に押し流されてほとんど更地になった景色が目に入る。旧北上川河口の西側は、残されたお寺と墓地が見えるだけ。土地の方が、「お寺の外観構造は残っているが、中はがらんどう」と言っていた。河口の東側はもともと工場地帯だったのか、ぽつぽつ建物が建ち始めていた。この日和山公園は芭蕉も立ち寄ったところで、句碑がある。当時は、米等の物資を北上川の水運を利用して集め、更に江戸等に向けて船で送り出す所として大いに栄え、芭蕉達もその賑わいに感銘を受けたようである。被災地を実地に見るために、日和山公園を降りて津波に洗われた地に立ってみた。外観が残っている建物も近寄ってみると、見るも無残でまさに殻だけ残っているという感じである。旧北上川沿いを歩いてゆくとまだ撤去されていない破壊された住宅もかなりあり、識別のために壁に赤色で数字が書かれていた。郊外には仮設住宅暮らしの方がまだ大勢いるようだ。しかし、復興の息吹も感じる。生産を開始している企業もある。市の中心部は、それなりに人通りがある。街の再生を祈りたい。