ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

ぶらっと歩きの風景in水戸(69)

2021-03-26 19:10:15 | 水戸

農業用燃料タンク(Hanaya 大場町101)
 農家のイチゴ直売所入り口にある農業用燃料タンクです。イチゴ模様が描かれていて、ナイスアイディアの看板になっています。

 

フェンスのウサギ(笠原町)
 思わず目がいくウサギたちです。

 

千波湖のコイ(千波町)
 千波湖は鳥にエサを与えてはいけないと掲示されていますが、魚はどうなのでしょう。たくさんのコイが半分岸に乗り上げて餌をねだっていました。コイはそうとうな食いしん坊のようです。周囲の鳥たちも、すこしひいているようです。

 

 

天灯鬼(六地蔵寺 六反田町767)
 満開になった桜の下にある、かついでいる灯籠がなくなっていた天灯鬼に、小さな小坊主か地蔵の石像が、かわりにのっていました。

 

半分伐採(東前町)
 落ちる枝による被害防止のために、去年11月に伐採された樹齢300年というイチョウの事前・事後です。もう10年もすれば、そうとう回復するのでしょう。事前の写真(下)は去年の5月の撮影です。

ぶらっと歩きの風景in水戸(68)

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水戸の竹(7)

2021-03-25 20:22:45 | 水戸

竹床柱(とこばしら 好文亭 常磐町1-3-3)
 好文亭3階の楽寿楼にある床柱には、竹が使われています。建設当時は、薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)から贈られた薩摩竹が使われ、戦災復元後は、鹿児島市長からの寄贈品が使われているそうです。徳川斉昭は奇数をめでたい数字としていて、この柱の節の数は11だそうです。

 

竹灯籠(偕楽園 常磐町1-3-3)
 年末年始に、門松の竹でつくられたような灯籠がつくられ、灯がともされたようです。今はありませんが、夜景が楽しめそうで、ときどきあってもよさそうな企画です。

 

竹張り椅子(偕楽園公園センター 見川1-1251)
 竹の縁台をしっかりさせたような、割いた竹を並べた長椅子が公園センターにありました。

 

佐竹氏家紋(天徳寺 八幡町8-54)
 佐竹氏が開基となった天徳寺なので、その家紋である、「五本骨扇に月丸」が、寺のあちこちにつけられています。白い旗で源頼朝軍に加わった佐竹氏に、頼朝は扇を渡して旗の上にさすようにいったということから、それが家紋になったそうです。扇はもちろん竹と紙製です。写真は山門にある、金箔張りの佐竹氏家紋です。

 

酒泉竹軒(墓 常磐共有墓地 松本町13-34)
 徳川光圀時代の儒学者で、筑前福岡生まれ、彰考館に入り、元禄12年(1699)にその総裁になった人だそうです。名は弘で、中国語にも通じ、書も巧みだったそうです。享保3年(1788)に65歳で死去したそうです。

水戸の竹(6)

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水戸のラバーダム

2021-03-24 20:58:35 | 水戸

  水戸には、ラバーダムがいくつかあります。今のところ、私は4カ所で見ました。ラバーダムはゴム堰ともいい、圧搾空気でチューブをふくらませる可動式ダムをいうようです。現在はどれも空気が抜かれていました。

 

柳堤橋下流(36°22'01.7"N 140°29'07.5"Eあたり)
 これが水戸で一番有名なラバーダムで、柳堤堰というようです。平成13年に完成したそうです。備前堀へ桜川の水を導入するためにこのダムで水位を上げる、しかし、そうすると水が滞留してアオコ発生する、また鮭の遡上に問題ができるといったことから、この方式が選択されたようです。写真は、令和2年5月の撮影です。

 

矢の目橋下流(桜川緑地 36°21'48.3"N 140°26'36.8"Eあたり)
 これも桜川に設置されているダムです。表示板には、「一級河川桜川千波湖分水堰」とあります。平成11年につくられたようです。このあたりの平地には、梅がずいぶん植えられてきているようです。写真は、平成28年8月の撮影です。

 

新坂橋上流(36°22'10.7"N 140°26'47.4"Eあたり)
 表示板には「千波湖導水取水堰」とあります。昭和63年に設置されたようです。写真上部の橋は矢の目橋です。

 

石川橋上流(36°18'52.5"N 140°32'17.6"Eあたり)
 表示板には「石川川ファブリダム」(ラバーダムのことをファブリダムともいうようです。)とあります。昭和53年に設置されたようで、ひょっとすると、桜川のダムは、これが先例になっていたのかもしれませんね。橋のすぐ下流で排水機場の大規模な管水路工事が行われていました。このあたりは、令和1年の19号台風で被災した地区のようです。

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水戸の壁画(3)

2021-03-23 20:28:49 | 水戸

松本町
 アメリカ調のポップな大壁画です。趣味で最近描いたようですが、本業である内装業の、よい看板にもなっているのでしょう。

 

センチュリー21エムズ・エステート(南町3-4-20)
 ビル4Fの壁に、これも別なアメリカ調の絵が描かれています。窓もカンバスとして、上手に使われているようです。たぶん制作年なのでしょうが、2008とあります。

 

内川水門門扉(万代橋左岸上流 36°23'21.8"N 140°28'24.1"E)
 色があせてきていてよく見えないのですが、梅の花と鳥と魚などが描かれているように見えます。古い絵の上に、次の絵が重ねて描かれているようにも見えます。平成7年に作られた水門のようですが、こういう絵の劣化は早いようです。古い写真でもあるとよく分かるのですが。

 

茨城県信用組合偕楽園前出張所(元山町1-6-26)
 手前の花は立体の絵になっているようです。茨城県立歴史館脇信号の、斜め道向かいです。こういうものは、言われないと気がつかないことがよくあるようです。

 

第一中学校(東原3-1-1)
 タイルアートのようですが、講堂横にあったような気がします。何が描かれているのか分かりませんが、色使いがきれいだなと思いました。

水戸の壁画(2)

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水戸の舟(2)

2021-03-22 20:49:16 | 水戸

テントウムシ船(千波湖)
 千波湖に、二艘だけ、白鳥型でないテントウムシ型のボートがありました。以前は恐竜型のボートもあったようです。

 

那珂川汽船(市立博物館 大町3-3-20)
 いつの時代も大量輸送は船で行われるようです。江戸時代は那珂湊が、東廻りの回船の寄港地として栄えたそうですが、明治11年に、そこと水戸をつなぐ蒸気船ができたそうです。水戸の発着地は、お杉山下で、今の市営城東住宅(城東1-15)あたりだったようです。

 

舟塚古墳(大足町)
 全長80mくらいの、平地につくられた古墳で、愛宕古墳より新しいそうです。大きく改造されているそうで、それは戦国時代の大足城との関係があるらしいとのことです。舟の形を思わせたのでつけられた名前なのでしょう。

 

田舟(茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
 田下駄だけでなく、田舟も水戸にはあったそうです。腰まで浸かるような泥の田では、こうした道具が必要だったのでしょう。

 

入船堂(南町3-4-14)
 昭和10年に東京赤坂で創業して、その後空襲にあって、茨城に移った店だそうです。季節ごとにのれんをかえるのはおしゃれです。

水戸の舟(1)

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