ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の地名の由来(4)

2018-01-23 20:20:35 | 水戸

久保町(くぼちょう)
 窪地だったので窪町といわれていたそうですが、のち久保町となったそうです。近くの砂久保という地名も同じようなことなのでしょう。向井町散々楽(ささら)舞台の柱上にかぶせた金具には久保町の町名が書かれているそうです。

 

水門町(みずもんちょう)
 一町目口ともいわれたそうですが、千波湖から桜川に流れ出るところにあった水門から、元禄3年(1690)に水門町の名がついたそうです。(昔はこのあたりまで千波湖が来ていました。)以前の橋とは位置が違うようですが、今、桜川にかかる水門橋という橋名に、地名の名残があります。

 

轟町(とどろきちょう)
 桜川にかかる石垣橋が、元禄3年に流れる水の音から「ドドメキ(轟)橋」と改称され、のちに町名も轟町になったそうです。橋は築城の手法によって築かれたそうです。今も名前を残す石垣橋があります。写真は旧町名石碑と伊奈備前守を祀った伊奈神社です。

 

材木町(ざいもくちょう)
 水戸城整備のために、町人地を台地上から本町(ほんちょう)に移したことを田町越といいますが、その田町はこのあたりで、当時多少の家並みがあったそうです。寛文(1661-1673)の頃から材木商が多くなり、この名になったそうです。

 

古宿(ふるじゅく)
 今の常照寺は古くは吉田城という城館で、佐竹氏の臣下・車丹波守もここに住んだそうです。その周辺が開けて宿場ができて、市が開かれ、古着市の宿として知られたそうで、そうしたことからついた名前のようです。写真は野木神社境内にある石碑ですが、近くには元吉田古宿街区公園もあります。

水戸の地名の由来(3)


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