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水戸の西国三十三所供養塔(1)

2019-03-14 20:29:13 | 水戸

 観音菩薩には、33の変化をして衆生を救う姿があるという信仰があり、熊野信仰のある那智の青岸渡寺を第一とする、33ヵ所の霊場を巡拝する、西国三十三所ができあがったようです。
 西国三十三ヵ所供養塔は、その巡礼を果たした記念に建てられたようです。台石に一緒に巡礼した講員の人数や名前を刻むのが、一つの型になっていたようで、そうした碑がよく見られました。

 

玉泉寺薬師堂(大野町2148)
 境内に3基ある西国三十三所碑の、天保6年(1835)とある一番古い碑です。「供養塔」の「供」の字までしか地上に出ていません。他の碑は台石に同行〇人と彫られているので、この碑も同様かもしれません。

 

観音堂(中大野660-1)
 ここにも3基ありました。これは弘化4年(1847)に建てられた碑で、台石に「同行廿(二十)二人」とあり、外の三面に名前が彫られています。

 

台宝院共同墓地(㈲アイアールイー(西大野238-1)脇)
 台石に「同行拾八人」とあります。明治9年に建てられました。

 

仏性寺(栗崎町1984)
 碑文は緑色で書かれています。上部にあるのはサと読む観音菩薩をあらわす梵字だそうです。明治24年に建てられました。ここも台石に22歳から55歳の10人の名前が刻まれていて、明治12年とあります。たぶん実際に巡礼したのは明治12年なのでしょう。

 

川又観音(川又町293-1)
 大正元年とあります。ほかにもう1基、墓石状の碑がありました。かなり大きな碑で、隣に一回り小さい出羽三山碑もありました。


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