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水戸藩主・徳川光圀関係の碑(2)

2022-08-17 20:58:40 | 水戸

浴徳泉碑(笠原水道碑 逆川緑地)
 飲料水に苦しんでいだ埋立地の下市(しもいち)に、寛文3年(1663)に光圀が完成させた、上水道だそうです。笠原を水源として、埋めた石樋を水路とした、総延長約10km、総工費約554両、延べ人数約25,000人という水道だそうです。碑は、題字を8代斉脩(なりのぶ)、書を9代斉昭、撰文を藤田幽谷を担当したそうです。笠原の木を伐採して新田をつくることを願ったが、光圀は水源を害するからと許さなかった、斉脩が笠原水道を詠んだ七言絶句にある「浴」と「徳」の字に、「泉」を加えて名前を付けたなどということが刻まれているそうです。

 

高枕亭(現・徳川ミュージアム 見川1-1215-1)
 光圀は、寛文5年(1665)に緑岡に別荘をつくったそうです。この頃、漱石所、丸山淵明堂つくったようです。また、崖下まで川を引いて船で行けるようにしたそうです。高枕亭のある地を君子林と名付け、崖下に下る坂を窈窕坂とし、崖下の井戸の水で茶をたてて従臣達と、茶会を催したり、詩歌を楽しんだりしたそうです。朱舜水は高枕亭志をつくり、その地の十選もえらんだそうです。宝永4年(1707)に3代綱條(つなえだ)の時代になってから、松波勘十郎による改革の一環として、西山荘、漱石所と共に取り壊されたそうです。

 

漱石所跡碑(逆川緑地)
 寛文5年(1685)に建てた漱石亭という茶亭を説明する碑だそうです。川に盃を流して歌を詠むという曲水の宴などを愉しんだそうです。「禁不動堂上食肉乱行(不動堂で肉を食べたり騒いだりしてはいけない)」、「禁美妓甘酒耽逸楽及び夜陰(芸者をはべらせて酒をにふけったり、夜までいてはいけない)」などの禁令(天和3年(1683))があったそうです。

 

丸山淵明堂(見川 36°22'24.3"N 140°26'59.0"Eあたり)
  高枕亭と同じ時期に建てられたらしい、中国六朝期の詩人・陶淵明の像などを安置したので淵明堂といわれたそうですが、壁に李白と酒呑童子(しゅてんどうじ)の絵が描かれていたので、猩々堂とか酒星堂とかいわれるそうです。高枕亭からここに至る小道を窈窕坂といったともあります。山には柳、桜、松が植えられていたそうです。同じ時期に建てられたらしい高枕亭、漱石所、淵明堂は、それぞれ違った意味をもたせて建てられたような気がしませんか。

 

舜水祠堂(北見町8-8)
 中国明(みん)の儒者・朱舜水を江戸に招いて師として厚遇したそうですが、その死後、駒込の中屋敷(現在の東大農学部あたり)に舜水祠堂を建てて霊を祀ったそうです。朱舜水は、儒学ばかりでなく、広い知識を持った教養人だったそうで、「それ/\の巧者をあつめて開起せしむるなるへし。しかる時先生一人おハセハ、おそらく不足なく都邑成就すへしと思召也(おぼしめすなり まちをつくるのに、それぞれの専門家を集めなければならないが、先生なら一人でまちづくりを完成させてしまう)」と晩年、光圀は語ったそうです(玄桐筆記)。舜水祠堂は、その後、正徳2年((1712)に水戸に建てられ、弘道館完成までは、藩の学堂の役割を果たしていたそうです。

水戸藩主・徳川光圀関係の碑(1)


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