ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸市役所の変遷

2020-08-19 20:52:25 | 水戸

明治22年 鉄砲町
 水戸市が誕生した年ですが、はじめは鉄砲町の上市戸長役場が市役所として使われたようです。場所は、アートタワーの裏側(東側)あたりだったようです。その頃は、同じ五軒町1-5の西南端に五軒小学校があったようです。初代市長は、下市の戸長だった服部正義だそうです。

 

明治23年  柵町中御殿跡
  翌年、旧中御殿があった柵町の官有地に市役所が竣工したそうです。ここは、「義公生誕之地」碑という、水戸藩家老・三木之次(ゆきつぐ)の屋敷跡で、その後、元禄10年(1697)ころに、藩主の休息所、子女の居所に使われた中御殿になったそうです。碑や義公神社のある地は、屋敷の隅の方だそうで、屋敷地は鉄道の方に長く広がっていたようです。写真中央にある道路の突き当たりの先が線路です。

 

大正7年  南三の丸
 柵町の建物が老朽化したために、南三の丸に新築されたそうです。第6代川田久喜市長の時代で、工費は約3.6万円だったそうです。柵町の水戸城崖下一帯の湿地帯だった市有地を、大正時代に埋め立てして住宅地を造成したそうですが、市役所の敷地は、それを造成する土をとって整地した、今の水戸京成ホテルのあたりだそうです。

 

昭和47年  中央1-4-1
 大正10年から昭和7年にかけて千波湖の三分の二が埋め立てられて、駅南地区が形づくられたそうですが、その中心地をつくるべく、木村伝兵衛第14代市長が市役所移転を行ったそうです。このとき同様に南三の丸から水道庁舎も埋め立て地に移転したそうです。その後、平成23年に東日本大震災で被災したため、平成30年に同じ地に再建されたのが今の庁舎だそうです。工費は約197億円だそうです。


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