ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の馬頭観音(10)

2022-08-16 21:03:56 | 水戸

 今回は、年号の分かる江戸時代の馬頭観音碑です。やはり馬頭尊が多いような気がします。水戸以外ではどうなのでしょう。どれも幕末の激動期にあたっていますが、石碑を建てた人びとと、そうした激動の歴史は、どのように関わっていたのでしょう。

 

遠木公民館(有賀町36°22'37.7"N 140°21'54.4"Eあたり)
 「寛政八辰(たつ)年 馬頭観世音 十一月穀日」とあります。穀日(こくじつ)は、良日ということだそうです。寛政8年は1796年だそうです。6代治保(はるもり)の時代で、この4年後の寛政12年に9代斉昭が産まれたそうです。

 

三湯町(36°22'14.9"N 140°20'36.9"Eあたり)
 「文化十四年丑(うし) 馬頭尊 二月吉日」とあります。文化14年は8代斉脩(なりのぶ)の時代で、1817年だそうです。この年に2代光圀の隠居場・西山荘が焼けたそうですが、文政2年(1819)に再建されたそうです。

 

薬王院(元吉田町682)
 「天保十一年 馬頭観世音 子(ね)三月吉日」とあります。墓地入口左側にある地蔵堂脇にあります。天保11年は9代斉昭の時代で、1840年だそうです。この年には第1回目の追鳥狩(おいとりがり)が実施され、翌年には弘道館が仮開館し、翌々年には偕楽園が開園するようです。

 

小林町(36°21'44.5"N 140°20'48.9"Eあたり)
 「元治元年… 馬頭観世音塔 中宮芳兵衛中」。「馬頭観世音塔」以外は、欲目で見ました。「中宮芳兵衛中」は、名前の小字なのかも…。風化が進んでいて、ほとんど自信がありません。元治1年は9代斉昭の時代で、1864年だそうです。この翌年、筑波山で挙兵した天狗党は、敦賀で降伏し(翌々年1月)、処刑された(2-3月)そうです。

 

鹿島神社(河和田町1641)
 「慶応元年乙丑(いっちゅう)十二月 馬頭尊 河和田村外城(とじょう)中」とあるようです。外城は、小字を調べての推測です。慶応1年は上と同じ、1865年だそうです。

水戸の馬頭観音(9)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 水戸のシャッターアート(4) | トップ | 水戸藩主・徳川光圀関係の碑(2) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

水戸」カテゴリの最新記事