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水戸の見て歩き

水戸の土塁

2020-10-24 21:03:34 | 水戸

 土塁は土居(どい)ともういそうです。たたき土塁と芝土塁があるようです。低い土塁は土をむき出しにしたたたき土塁がほとんどのようですが、崩れやすいので防御に向いていたようです。芝土塁は草の根が土塁の表面を固めるので、高い土塁や、土塁維持にむいているようですが、のぼりやすい欠点があるようです。たたき土塁、芝土塁、どちらも保守管理には労苦が必要だったようです。

 

長者山(渡里町)
 江戸氏の重臣・春秋駿河守(はるあきするがのかみ)の館だったそうです。そのはるか前から、一盛(いちもり)長者伝説が伝えられてきた館のあった地だったようです。

 

妙徳寺(加倉井町909)
 妙徳寺は土着の加倉井氏の居館だったそうです。寺の背後に土塁の一部などが残っています。

 

成沢町(市道堀・田野・成沢線沿い)
 稲荷神社付近にある土塁です。江戸氏の家臣・神生(かのう)氏が整備した土塁で、佐竹氏に対する防備の意味があったそうです。場所によって3重にもなっていたそうです。ここは2重だったようです。

 

見川城跡(見川3丁目)
 江戸氏の家臣・春秋石見守(はるあきいわみのかみ)が延徳年間(1489-92)に住んだ城跡だそうです。土塁、堀、郭の形跡が林の中によく残っているそうです。佐竹氏の水戸進出によって廃城になったようです。写真左が土塁です。

 

吉田神社(平戸町)
 大掾氏の一族だった平戸氏(石川氏)の居館がこのあたりにあったそうです。館内に氏神である八幡社があったそうですが、那珂湊へ移されたそうです。昭和53年の土地区画整理で平地化されたそうです。写真は、吉田神社境内にある土塁らしい遺跡です。

水戸城の土塁


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