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水戸の青面金剛(8)

2023-10-11 20:59:58 | 水戸

 水戸藩2代徳川光圀は、庚申講や月待ちなどで、夜を過ごすことを嫌ったようですし、9代斉昭は、庚申塔二十三夜塔の路傍建立を禁止したようです。庚申信仰の一つである青面金剛建立も、水戸藩ではあまり肩身の広いものではなかったのでしょう。それでも、これだけたくさんの青面金剛等の民間信仰遺跡が現在残っているということは、興味深いことであるといえるでしょう。

 

八坂神社(河和田36°21'54.9"N 140°24'44.7"Eあたり)
 明和3年(1766)建立の青面金剛(しょうめんこんごう)です。水戸では、6臂(ぴ)のうち、前の2本を合掌させる形の像が多いようで、以下の4体はそれです。この像では、後ろ向かって右上の腕が宝輪を持っているように見えますが、ほかの3本の腕が何を持っているのかよくわかりません。

 

筑地町の墓地(筑地町993)
 天明8年(1788)が見えますが、全体的に風雨による劣化が進んでいて細かいところはよくわかりません。こうした石仏は、値段のこともあったのでしょう、あまり固くない石に刻まれることが多かったように思われます。それだけに劣化が早いようです。上と同様、比較的すらっとした体つきの像です。

 

子安神社(元石川町1926)
 炎髪(燃える炎のように逆立った髪型)が大きく3つに分かれた青面金剛ですが、3頭身くらいに見えます。神社脇の道路側に、外向きに並んだ石仏群の中にありました。

 

和光院(田島町415)
 全体的にあまり盛りあげない彫り方のようです。持ち物は、向かって左から矢、三叉戟(さんさげき 先端が3つに分かれた槍のようなもの)、宝輪、弓のように見えます。最上部の左右に、日と月があったような感じですが、これはよくわかりません。

 

円通寺(千波町1227)
 これはそうとう個性的な青面金剛のようです。普通は憤怒の顔なのですが、だいぶ人間的な顔つきに彫られています。前の2本の手は、刀と金剛杵(こんごうしょ 煩悩を打ち砕く杵(きね)のような形をした武器をかたどった法具)かなにかを持っているようです。円通寺境内の、地蔵などの石仏が立体的に集められた中にありました。

水戸の青面金剛(7)


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