水戸では、二十三夜塔と庚申塔が1本に刻まれている石碑をあちこちで見かけます。旧常澄村に多いようですが、今回はそれらを選びました。常澄村史によると、このような石碑は男だけの講に多かったようです。それほどゆとりのなかったであろう時代に二つの講をどのように維持していたのかとか、女性のかかわりはどうだったのかとか、いろいろ気になります。気長に調べてゆこうと思います。
庚申・二十三夜尊(鹿島香取神社 下大野町258)
神社の入口付近にあります。
廿三夜・庚申供養塔(大杉大明神 下大野町 水戸高等特別支援学校近く)
文政元年(1818)のように見えます。
庚申・二十三夜塔供(大串の里(大串町584-1)道向かい)
T字路の角にあります。写真右手に行くと、善徳寺跡に残る宝篋印塔があります。
庚申・廿三夜供養塔(川又観音 川又町)
碑の上方に下弦の月と日が刻まれています。
廿三夜・庚申供養塚(大場町 大貫橋北方400m位)
道沿いに並んでいるたくさんの石造物の中にあります。嘉永2年(1849)とあります。
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