光明真言百万遍の碑をご紹介してきましたが、光明真言供養塔もたくさん見ることができます。その多くは、丸形碑の上方に光明真言の梵字24字を丸く刻み、下方の中央に光明真言供養塔と大書して、その左右に建碑年月日が刻まれるという形が一般的なようです。飢餓や疫病流行の年に救いを光明真言に求めて供養塔を建てたとしている解説書がありました。
光明真言塔(経塚共同墓地脇 河和田市民運動場(河和田町3438-3)隣)
天明3年(1783)とあります。この年は浅間山の噴火があり、天明の大飢饉に襲われます。
天明3年(1783)とあります。この年は浅間山の噴火があり、天明の大飢饉に襲われます。
奉唱光明真言供養塔(堀あさひこども園(堀町209-1)脇)
文政10年(1827)とあります。西原坪講中ともあります。念仏講のようなものが建てたのでしょう。
供養塔(宿坪墓地 香積寺(渡里町111)隣)
文政13年(1830)とあります。これは光明真言の文字がありませんが、上の梵字をその代わりにしているのでしょう。下方に講中安全ともあります。