ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の坂(6)

2019-09-05 20:29:20 | 水戸
 
富士坂
 金町から根本町に降りる坂道(五軒小学校東側)
 富士権現が坂上にあったことによるそうですが、富士権現は寛文6年(1666)に破却されたということなので、相当古くからの名前なのかも知れません。滝坂ともいわれたそうで、坂を降りる途中の右側が谷になっているのでそのあたりに滝があったのでしょう。
 
 
 
 
測候所坂
 測候所の信号東側の那珂川方面へ降りる坂道
 城下の台地を南北に横断していた大坂町の大坂と、途中で合流しています。明治35年の地図には、「明治19年作る」とあります。測候所ができたのは明治29年だそうですので、それ以後についた名前なのでしょう。
 
 
 
 
金魚坂
 旧・鳥井町の大工町側口あたりから、別雷皇太神少し南の県道342号線に行く坂道
 大正13年に開業した金魚を商う店があったことから名前がついたようです。江戸時代はお堀だったので当然この道はなかったでしょう。明治35年の地図には大工通りとかかれていますが、もしかすると、今のような土を盛った道でなく、谷に降りてのぼる道だったかもしれません。それでも、金魚店開業前にすでに道はできていたようです。写真を撮ったのは平成16年です。


 
 
レンガ坂
 南町1丁目から奈良屋町へくだる坂道(ベル(南町1-2-2)と、わん水戸店(南町1-2-26)の間)
 今はビルとビルの間の通路となっていて、その痕跡しか残っていませんが、かつてはそれが南町1丁目から奈良屋町にくだる細道だったそうです。今の三の丸庁舎前あたりにあった赤レンガ造りの茨城県公会堂が昭和4年に焼けてしまい、そのレンガを敷いて整地したのでいわれるようになったそうです。これも写真を撮ったのは平成16年です。
 
 
 
 
七曲がり坂
 逆川緑地内にある小門橋を渡って、千波原の台地に上る坂
 徳川斉昭によって行われた、追鳥狩(おいとりがり 軍事演習)を行うために、台地の上にある現場に建てられた小門にいたる、2間(約3.6m)幅の道だったそうです。
 
コメント
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