テニスプレイヤーの日記

日々の随想や所感を書きます。

城巡り 松ノ木城跡へ

2024年03月15日 | Weblog

松ノ木城跡に行ってみました。御霊神社と小さな公園が城跡のあたりとか、特に案内板は

ありませんでした。

松ノ木城跡|観光スポット|岐阜県観光公式サイト 「岐阜の旅ガイド」 (kankou-gifu.jp)

城主は、東軍・徳永寿昌。
寿昌は関ケ原の合戦後、高須城主に栄進しました。
松ノ木城の位置は特定されておらず、御霊神社のあたりと言われています。
南美濃の戦いでは、今尾城主・市橋長勝と共に福束城(城主 丸茂兼利)を落城させます。

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城巡り 高須城跡へ

2024年03月15日 | Weblog

輪中の中の城跡、高須城へ向かいました。高須城跡公園を含む周辺一帯が、城跡とのことですが、

平城で、案内板以外は、城跡と思えるものはありませんでした。

リンク先

高須城跡|観光スポット|岐阜県観光公式サイト 「岐阜の旅ガイド」 (kankou-gifu.jp)

住所 岐阜県海津市高須町127-1

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城巡り 今尾城跡へ

2024年03月15日 | Weblog

輪中の中の城跡、今尾城跡です。今尾学校の入口に案内板がありました。

岐阜県海津市平田町今尾4434

東軍 市橋長勝の居城。長勝は、福束城の戦いで奇計をめぐらし、東軍を勝利に導きました。
今尾小学校のあたりが本丸跡で、校内に石碑と案内板があります。
南美濃の戦いでは、松ノ木城主・徳永寿昌と共に福束城(城主 丸茂兼利)を落城させます。

今尾藩初代当主の竹腰正信は、尾張徳川家の初代藩主徳川義直と異父兄弟の関係です。

正信は養父である家康に見込まれて義直の側近に取り立てられました。

そして、犬山城主成瀬正成とともに尾張藩附家老を命ぜられ、両家の歴代当主は幕末まで尾張藩を支えました。

家康が秀忠に将軍職を譲り駿府城に移り住んだあと、城で火事がおこりましたが、

正信が8寸の錠前をとびかかってねじ切り、病床にあった家康を庭へ抱え出し、小屋の棟木を抜いて火を消したと伝わっています。

この時正信は16歳。これ以降、家康からの信頼を一層厚くしたとされています。

今尾小学校から少し歩くと、西願寺があります。

西願寺の山門は、今尾城の門の一つを移築したものといわれ、当時の今尾城を偲ぶことのできる唯一の遺産となっています。 

 

リンク先

今尾城跡|観光スポット|岐阜県観光公式サイト 「岐阜の旅ガイド」 (kankou-gifu.jp)

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木曽三川公園センターへ

2024年03月15日 | Weblog

木曽川・長良川・揖斐川は、濃尾平野を流れる三大河川の公園に向かいました。

公園には、高さ65mの展望タワーを持ち、治水事業の歴史や木曽三川に生息する魚や鳥、昆虫、植物等を紹介する展示施設を備えた「水と緑の館」、輪中特有の「水屋(みずや)」と呼ばれる建物を持つ輪中の農家、シーズンの毎に花が咲く大花壇、 広大な芝生の広場等の施設があります。

高さ65メートルの展望タワーに上りました。大人630円 JAF割510円で、展望して来ました。

気温上昇のため遠くはもやがかかり見えませんでしたが、近方は、三河川の展望が出来ました。

高さ的には、木曽川・長良川・揖斐川に向かって、下がっていて、三川合流地点は、豪雨時に

水害に見舞われ、小学校で学ぶ「輪中地帯」が、出来た場所です。

 

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