テニスプレイヤーの日記

日々の随想や所感を書きます。

城巡り 高屋城跡

2020年10月14日 | Weblog

河内長野から羽曳野市の方に、北に進路を取り、高屋城跡へ向かいました。

本丸は、安閑天皇陵で、立ち入り禁止です。

 

北東側から天皇陵を撮影。

西側には、案内板があります。

北側から、東南を撮影。

 

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城巡り 烏帽子形城(えぼしがたじょう)

2020年10月14日 | Weblog

河内長野駅の観光案内板に記載があった烏帽子形城(えぼしがたじょう)に向かいました。

公園は、山の東側にあります。

烏帽子形公園として、整備されており、曲輪・空堀・など、整備がされています。

建物の礎石も出ています。駐車場からは、徒歩10分ぐらいで、本丸までいけます。

天気もよく、河内長野の市街がよく見えました。

 

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元弘2年 / 正慶元年(1332年)、楠木正成が上赤坂城の支城として築城。楠木七城のひとつ。西高野街道を眼下に見下ろす要所の地にあるため、南北朝時代には主に南朝の楠木氏の城として北朝の畠山氏との争奪戦が行われ、室町時代・戦国時代には義就流畠山氏と政長流畠山氏の間で争奪戦が行われた。天文年間には楠木正季の子孫である甲斐庄氏の当主隆成が城主であったが、敵対する義就流畠山氏の畠山定国によって落とされ、代わって碓井定純が入城した。元亀年間には甲斐庄正治(橘長治)が入り、畠山高政や根来寺衆徒等が幾度も入城して三好長慶に抵抗した。正治はキリシタンであったため、城下でキリスト教を奨励し、南河内の一大拠点として大いに賑わいを見せた。

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城巡り 西代陣屋跡

2020年10月14日 | Weblog

河内長野駅から西の方に、行くと、長野小学校があります。

その正門が、陣屋門風になっています。案内板は、正門入口 左側の小門の右側に

ありました。

 

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城巡り 狭山陣屋跡へ

2020年10月14日 | Weblog

秋晴れに誘われて、河内長野へ向かいました。

城巡りです。まず、狭山陣屋跡に向かいました。が、どこにあるかはすぐに分かりませんでした。

狭山池の東側をぐるぐる回り、狭い住宅地などを走りましたが、どこか

わかりません。東池尻3丁目の信号交差点を探しましたが、わからずでしたが、ふと、見ると、

陣屋の案内板を発見、3メートル✖15メートルぐらいの塀があるところに、陣屋の石碑と

案内板がありました。北から南に向かうと右側にありました。

  南側から西北方向から撮影。

案内板の説明

 上屋敷

 

 下屋敷

 

 

 

 

 

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