ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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学級通信(03、教科通信と学級通信と学年だより

2005年06月29日 | カ行
 教科通信という言葉を私が知ったのはまだそれほど昔の事ではありません。中嶋洋一さんの『英語のディベート授業・30の技』(明治図書出版、1997年)の 111頁に彼の教科通信「Happy!」というのものがあったのです。それを読んだのはたしか1998年だったと思います。

それまでも学級通信というのは知っていました。私自身はもらったことはありませんが、子どもがもらってきていたからです。しかし、教科通信というものがあるのはその時初めて知りました。それと同時に、担任を持っていない私でも教科通信なら出せるということを考えました。

そして、哲学の授業で出してみました。これが「天タマ」です。生徒がとても喜んでくれたので、ドイツ語の授業でも出すようになりました。これが「SCHOEN IST DIE JUGEND 」(略称「ユーゲント」)です。

知人のSさん(中学理科教師)はかつて自分の出している教科通信を送ってくれましたが、今度、『?(なぜ)と!(びっくり)を見つけよう』(田中正史著、KKベストセラーズ、本体1800円)を教えてくれました。

早速、町の図書館で買ってもらいました。四国の中央市の中学校の理科教師のようです。3年間、学校のある日は1日も欠かさずに出した理科通信(残念ながら、特別の名前はついていないようです)をまとめたものです。

時間の順序は逆になりますが、2000年3月には『私の目は死んでない』(評論社、本体1800円)が出ました。これは岡山県の県立高校の国語教師・妹尾和弘さんの出している高校生通信「今、ここで」の15年分を元にまとめたものです。

この通信は学級通信ではないのはもちろんですが、教科通信とも言いにくいものです。生徒が何を考えているのか分からなくて困った妹尾さんが、授業の最初に5~10分の時間を取って、「今、自分が思っていることを自由に書いて下さい」といって生徒に書いてもらったのを集めて、その中の適当なものを1枚の半紙にまとめただけのものです。教師の考えが全然書かれていないのがその特徴です。

たったこれだけの経験ですが、ここから考えた事を箇条書きにします。

1、学級通信は小学校ではかなり多くの教師が出していると推定されます。中学、高校と進むとどんどん少なくなると思います。私の住んでいる町の或る中学は全部で12クラスですが、その内学級通信を出しているのはたった2クラスだそうです(それなのに、ここの校長は入学式の式辞で「本校の先生はみな優秀で熱心な先生ばかりです」と言っていました)。

2、こういう通信の意義は書き言葉によるコミュニケーションの意義だと思います。日本の授業では討論が不活発だという話を聞きますが、たとえ討論が活発だったとしても、書き言葉によるコミュニケーションの意義は減らないと思います。

とにかく、外国人はいざ知らず、日本人はこういう通信がとても好きだと思います。生徒はとても喜んでくれます。

3、しかし、何でもいいから通信を出しさえすれば好いというのでもないと思います。学級通信のほかに「学年だより」というのが多くの学校では出ているようです。しかし、これは行事予定と、既に終わった行事についてのお決まりの感想文が載っているようなものがほとんどのようです。学級通信でもこの程度のものが多いようです。

私が自分の生徒に「学級通信や教科通信の思い出」を聞いても、「学年だより」については印象に残るものはほとんどないようです。

4、では、生徒に喜ばれる学級通信や教科通信にはどういう特徴があるのでしょうか。思うに、それは「議論があること」です。

上に挙げました「今、ここで」も、田中さんの理科通信にも議論があります。「今、ここで」の場合は、生徒が生活での考えや意見や感想や悩みを書いていますから、それを読んだ他の生徒が意見を書くという場合がかなりあります。

田中さんの「理科通信」で最大の議論になっていたのは、「自分達で鶏を育てて、解体を見学して、食べる授業」に賛成か反対か、それはなぜか、です。これは実に3年間も断続的に続いています。そして、その議論の中で考えが深まり変わって行ったようです。

そのほかに原子力発電に賛成か反対かの議論もあります。

私の教科通信にも議論は沢山載っています。この場合は特に、授業のあり方や私の意見への反対意見も載っているのが大きな特徴です。生徒同士の議論もあります。

5、ではこういう「議論のある通信」を出すにあたって最大の推進力は何でしょうか。それは教師だと思います。生徒が自分たちでこういう物を出しつづけ、内容を豊かにしていくのは難しいと思います。だからこそ学校に来ているのであり、教師についているのです。

中学2年の時だったと思いますが、クラスの班活動で私の属した班でクラス雑誌を(ガリ版刷りで)出したことがあります。しかし、それは長くは続きませんでしたし、内容的にも不十分だったと思います(今でもそれを編集していた時の班の活動が楽しかったことを朧げに覚えてはいますが)。

私が「天タマ」や「ユーゲント」を出していると、特に女子学生の中には「こういうのが高校時代にあったらよかったのになあ」という感想を書く人がいます。もっともっと多くの教師がこういう「議論のある教科通信や学級通信」を出してほしいと思います。

そのためには、生徒の側にも出来ることがあると思います。上に挙げた本を自分の住んでいる町の図書館で注文することです。それによってそういう動きを支持し理解することです。

又、私は読者の皆さんにお願いがあります。上に挙げた本以外に、「教科通信か学級通信をまとめた本(あるいは、それを元にした本)」がありましたら、メールで教えて下さい。

こうしてこういう動きを広めていきましょう。

そうそう、言うのを忘れました。何人かの外国人に聞いてみた範囲では、外国で学級通信を出す習慣(みたいなもの)のある所は1つもないようです。どうもこれは日本の学校の特徴のようです。
   (2004年11月06日発行)

     関連項目

霜村三二著『らぶれたあ』


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