ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

世の中はなぜ好くならないのか(その1)

2005年06月19日 | ヤ行、ラ行、ワ行
 雑誌「世界」の2月号に早川和雄さん(長崎総合科学大学教授)が「続・権力に迎合する学者たち」という文章を寄稿しています。こんな事は今に始まった事ではないと思いますが、まあ読んでみました。とにかく、生活にとっての住居の大切さを説いて「住宅貧乏物語」まで書いている人ですし、私もその見識を高く評価してきましたので。

 しかし、がっかりしました。そして、早川さんへの評価を下げました。その理由を書きます。

 第1に、趣旨がよく分からないということです。早川さんは1986年2月号の同誌にすでに「権力に迎合する学者たち」という文章を発表していて、これはその続編だそうですが、そこではいわゆる保守系の学者たちを論じたようです。

 その後、友人の学者から「こんどは左翼学者の権力迎合ぶりを書いてくれ」と頼まれ、その意味が始めは分からなかったそうです。だが神戸に住んで25年、そのことはいやというほど体験できた、と書いています。

 ここまで読むと、この文章は左翼学者の権力迎合を書くのかなと思います。しかし、同時に、その権力迎合とは左翼権力への迎合なのか保守権力への迎合なのか、あるいは両方なのかな、という疑問が浮かびます。

 最後まで読んでみますと、両方でもあるようですが、保守権力への迎合が主のようです。しかし、この文章の趣旨は、学者に権力に迎合しない主体性を求めるという点にあるようです。

 そして、本当の学者のあり方としてエドワード・W・サイードの言葉を引用しています。曰く「いかなる権力にも権威にも奉仕しないこと」、曰く「知識人はアマチュアであるべきだ」等々。

 こんな事は不可能です。エンゲルスの権威論でも読んでみたらどうでしょうか。世の中に組織がある以上、権力はあります。違いがあるとしたら、それはどの程度正当な権力か、どの程度民衆に奉仕する権力かの違いでしかありません。ある程度以上民衆に奉仕している権力に奉仕する事は正しい行為だと思います。

 「共産党員ではない」が共産党をかなり評価しているらしい早川さんは、最近の共産党が政府提出の多くの議案に賛成しているのをどう思うのでしょうか。

 第2に、そのように権力に迎合する人々がなぜそうなるのかに思いを馳せていないことです。たしかに早川さんが念頭に置いている人々は悪い人だろうと思います(最近の多くの文章の例に倣って、ここでも肯定できる人々の名は実名を挙げていますが、批判する対象は大抵名を挙げていません)。

 しかし、「盗人にも3分の理」という言葉もあるではありませんか。彼らだって、元からそのように悪い人ではなかったと思うのです。貧しい環境に生まれ育って苦労してはい上がってきた人が多いのではないでしょうか。その人が権力の「人を堕落させる力」に負けてしまったのではないでしょうか。

 最近の犯罪者の理由を聞いていますと、「生活に困って」というのがかなりあります。犯罪は肯定出来ませんが、一文無しに手を差し延べない社会に根本の間違いがあるのではないでしょうか。

 私も今年度は地域の自治会長として役場や学校の幹部たちの怠慢と戦っています。しかし、彼らを見ていると、何の見識もないのに何とかここまできて、権力を握れば、少しは威張りたいと思うだろうな、と思います。私でも彼らの立場にいたらそういう事をしたかもしれないなと思うこともあります。

 今、逮捕されるか否かが焦点になっています堤義明さんの場合でも、妾の子に生まれて、母は遂に正妻になることがなく、父から受け継いだ資産と事業でその負い目を晴らしたいという気持ちがあったのではないでしょうか。人は「ザマ見ろ」とだけ思っているのでしょうか。

 早川さんにはそういう事を考える想像力はないのでしょうか。

 第3に、これが最も感心しない点なのですが、早川さんは今どういう生き方をしているのか、その反省がないということです。

 早川さんは1931年生まれです。1978年に神戸大学の教授になり東京から移住したそうです。そして、多分、1996年、阪神大震災の翌年に定年退職して、その後のブランクは知りませんが、今上記の教授に成っているのでしょう。実に74歳でです。

 この生き方のどこに疑問があるのかと言いますと、この文章では震災処理を中心とした神戸市ないし兵庫県の例を論じているのですが、その理由は「学者のあり方を考える上で、神戸は象徴的で分かりやすいからだ」というのです。それならばなぜ定年後も神戸に留まってそういう不正と戦う道を選ばなかったのでしょうか。

 なぜ74歳にもなって、長崎の私立大学に天下って教授をしているのでしょうか。はっきり言って金がほしいからでしょう。それとも聖ろか病院の日野原重明さんのように「無給」を条件に引き受けたのでしょうか。

 前にも論じましたように、国立大学の教授が定年退職した場合、その退職金をもらった時点で少なくとも5千万円の金融資産があるはずです。しかも十分な年金があるのです。しかも、早川さんの場合なら、このような「権威ある」雑誌に文章を書いて原稿料をもらうことも出来るし、印税もあるのです。

 しかも74歳の人が教授であるということは、オーバードクターで定職がなくて困っている若い人から仕事を奪うことを意味するのです。早川さんにはこれが分からないのでしょうか。

 私も65年生きてきて、間違いも失敗もし、そして時には悪いこともしてきましたが、「全体としては」世の中を少しは公正なものにしたいと努力してきたつもりです。最近つくづく思う事は、世の中の不正を糾弾する人自身の不正ないし自己反省のなさです。大衆はこれを知っているから、立派な事を言うだけの人を信用しないのでしょう。

 このメルマガでも既にいろいろと書きました。都立大学総長が東京都に対しては「自由闊達な話し合い」を主張しながら、自分はそれを実行していない事、それを載せる「進歩的な」雑誌が批判論文を載せないこと、学校と教師を弾劾しているメルマガが自分に対する批判を載せないこと等です。

 確かに人間は完全無欠ではありえません。しかし、欠点にも大きい欠点と小さい欠点の区別があるのではないでしょうか。このメルマガで私を批判して下さる一部の人は、「日本語疑典」を書くなら完全無欠でなければならないと言いたげな批判をしてくれます。しかし、それは間違っています。しかも私は、私に対する批判は低劣なものでもほとんど掲載しています。

 最後に積極的な提案をしましょう。

 日本社会の現在の最大の問題、あるいは少し控えてその1つは、公務員の腐敗堕落だと思います。つまり行政改革こそ最大の課題だと思います。なぜかと言いますと、世の中は法律に定められた枠組みの中を動いているのであり、その枠組みを実際に運用するのは公務員だからだと思います。実際には、その法律も議員ではなく役人が審議会とやらを隠れ蓑にして作っているようです。

 行政改革のために必要な事は何よりも政権交代なのですが、それが起きるか否かに関係なく、我々に出来る事として、公正社会研究所とでもいう名のシンクタンクを作って、公務員の実情と問題点がすぐに分かるようなホームページを作るのがいいと思います。

 今でも特殊法人監視機構といったHPもあるようです。雑誌などを見ても公務員の給与が高すぎる、2割下げてようやく民間並みだといった記事はしょっちゅう載っています。私の考えているのは、こういう動きのセンター的な役割を買って出るものです。

 最初は小さく始めるにしても、目標としてはすべての役所なり学校なり法人なりのHPを監視して、我々の立場から逆HPを作って評価するようなものです。その際はすべての部署とすべての職員についても評価するべきです。もちろんHPのない所には「作れ」と言い、自分たちで作ってしまうのです。

 そこで一番大切な事は話し合いであり、批判が誹謗中傷にならないように気をつけることです。市民から批判的な指摘のあった場合は、まずは当人とトップに伝えて「1ヵ月以内に回答がほしい。改善すると言うならば批判は掲載しない。改善も約束せず答えもしない場合及び反論したいという場合は発表する」という原則が好いと思います。

 こういうシンクタンクに金を出すのは高名で余裕のある老人の義務ではないでしょうか。早川さんにはこういう事は思いつかないのでしょうか。私のような無名で無力な人間でも何とかしたいと思っているのに。
   (メルマガ「教育の広場」2005年02月01日発行に掲載)

     関連項目

世の中はなぜ好くならないのか(その2)




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