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理論と実践の統一

2006年12月22日 | 業績一覧
     理論と実践の統一

 牧野紀之編著、論創社、2005年05月初版
  四六判上製 432頁、定価4725円
 ISBN 4-8460-0308-6

 いわゆるマルクス主義の運動ないし自称科学的社会主義の運動ほ
ど非科学的な思想運動はなかったのではないだろうか。それは宗教
の運動よりもかえって非科学的だったのではないだろうか。キリス
ト教よりも仏教よりも、又戦後の日本では大きな勢力となった創価
学会の運動よりも。これが私の印象であり、問題意識です。

 それは、共産主義政党が政権を握った国では自由主義国よりも「
全体としては」独裁的であり、言論の自由がないという点に一番好
く現れていると思います。政権を握っていない日本の共産党でも「
自己批判」の強要や査問などという非民主的な事が行われてきまし
た。そして、その査問が怖いので、自己批判という名の土下座をさ
せられるのが嫌なので、共産党員は自由に考え物を言うことができ
なかったようです。そして、その雰囲気は党員だけでなく、共産党
の周りにいる人々をも支配することになりました。

 本書で取り上げました人々の多くは、観念論の立場に立つ人に対
して「政治から逃げている」と批判していますが、それは実際には
当たらないという以前に、そのように言う自称マルクス主義者自身
も共産党を冷静に客観的に認識論的に検討し、自分はいかなる理由
に基づいて共産党に対してどういう態度を取るのかという問題(こ
れも政治の一種)から逃げ回ってきたと思います。共産党に対して
どういう態度を取るのかという問題は実際には、マルクス主義に関
わる人なら誰でもが心の中で第一に考えている根本問題なのですが
、それを公然と理論的に論じることを避けてきたと思います。それ
は当人の姿勢の問題でもありますが、同時に共産主義運動を支配し
てきた雰囲気の結果でもあったと思います。

 その結果、「全てを疑う」という哲学の大前提が成立しないこと
になりました。スターリンに対する「個人崇拝」(実際には、スタ
ーリン信仰)はその最大の悪い例ですが、それ以外にもそういう無
批判的「信仰」は規模こそ大小さまざまであれ、運動の至る所に見
られたと思います。

 他者批判は立派だが、自己批判は全然ない。その典型として古在
由重氏の「現代哲学」を挙げることができます。これは二十世紀の
観念論哲学の内在的批判としてはとても立派なものですが、そこで
批判の尺度として前提されていたミーチン主義哲学には全く無批判
です。又、氏は認識論をやると言っていますが、その認識論には新
しい点は何もありません。つまり、哲学史家であって哲学者ではな
かったのです。文献を読んで検討することは出来ても、現実を哲学
することはできなかったのです。日本のマルクス主義哲学者の代表
者の一人である古在氏の在り方はマルクス主義哲学者全体を表して
いました。

 前著『マルクスの〈空想的〉社会主義』(論創社)に書きました
ように、私は今では社会主義者ではありません。しかし、公正な社
会を求める気持ちにはいささかの変化もなく、そのために残りの人
生を捧げたいと思っています。

 以上の根本前提に立って、人間の行動の根本を理解するための一
つの重要な問題である理論と実践の関係はいかなるものであるかと
いう問題をテーマにして、今回色々と考えてみました。これまでの
方々の論文を読みながら考えた事と私自身の考えをまとめたものと
です。(「まえがき」より)


        目  次

 まえがき
 序論・オルグの根拠としての理論と実践の統一

ヘーゲル「法の哲学」
  第1節〔法哲学の対象〕
 第2節〔法哲学は哲学の一部である〕
 第3節(略)
  第4節〔法の地盤〕

ルッポル「レーニン主義と哲学」

毛沢東「実践論」
  〔刊行者の「まえがき」〕
  〔第1節 序論・理論は実践から切り離しては理解できない〕

 〔第2節 実践から認識へ〕
 〔第3節 認識から実践へ〕
付論・毛沢東の名言

松村一人「ヘーゲルの絶対的理念にかんする批判的考察」

レオーノフ「弁証法的唯物論講話」

宇野弘蔵「理論と実践」

梅本克己「理論と実践の問題」

甘粕石介「理論と実践との弁証法」

柳田謙十郎「認識と実践」

許萬元「ヘーゲル弁証法の本質」

理論と実践の統一(牧野紀之)
 1、理論と実践の統一とは理論と実践は一致させなければならな
  いという意味か。
 2、「フォイエルバッハ・テーゼ」の第11テーゼはどういう意味
  か。
 3、毛沢東の「実践論」の意義と限界はどこにあるか。
 4、理論と実践の統一が両者は事実一致しているという意味だと
  すると、言行不一致をどう考えるか。
 5、理論と実践の分裂の意義とは何か。
 6、理論と実践の二元性とは何か。
 7、「○○の思想と行動」という見方はなぜ可能か。
 8、マルクスはこの問題に何を加えたか。
 9、通俗的見解のどこがどう間違っているのか。
 10、或る行為が実践か理論かを判定する基準は何か
 11、理論と実践の統一の諸段階は何か。
 12、「革命的理論なくして革命的行動なし」という言葉はどう理
  解するべきか。
 13、個人の成長過程における理論と実践の統一の諸段階は何か
 14、実践の根源性とは何か。

付録1・船山信一「唯物弁証法」
     〔日本における唯物弁証法小史〕
付録2・牧野紀之「主義を糧とする人々」(映画『追憶』を見て)

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