会津藩家老の西郷頼母(たのも)は、会津藩のお家芸
「お式内」の伝承者であり、それを会津のお抱え力士の
家に生まれた「武田惣角」に、「大東流柔術」として
伝えたという。
この「武田惣角」について研究されている「池月英」と
いう方から、私のブログに、情報が送られてきた。
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「明治9年の新戸籍に、士族「佐藤忠孝」の妻「やお」。
牧原一郎の娘(勘太輔の妹)で、会津坂下町中町に住んでいた。
「佐藤忠孝」は、会津藩士(御供番百石)で、会津戦争後、 会津坂下(ばんげ)御池田村の「武田惣角」の貸家に住んでいた。
そして「忠孝」は、力士の「武田惣角」に剣術を教え、坂下の
渋谷道場に一緒に通っ仲で、佐藤忠孝の妹「コン」は
「武田惣角」の妻になった。
「佐藤忠孝」は、坂下(ばんげ)で、小学校の教師をしており、
「(牧原)やお」との間に、三男六女が生まれた。
「やお」は、明治40年3月14日死去(50歳)霊号「八尾姫」
青津村亀ヶ森の墓地に葬られたが、その後、隣の青木村に移転し、
正徳寺に佐藤家の墓があり、「やお」の墓碑銘もある。
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つまり、「武田惣角」の妻の兄が「佐藤忠孝」で、「忠孝」の
妻が「牧原やお」。血はつながらないが、「牧原やお」は、
合気道の始祖「武田惣角」の「義姉」ということになる。
そして武田惣角に武術を教えたのは「牧原やお」の夫佐藤忠孝。
佐藤忠孝も牧原一郎も殿さまの「供廻り(SP=護衛兵)だったのだ。