五木寛之の『親鸞』は、仏教関係の書よりも詳しい。
慈覚大師円仁のことも、詳細に紹介している。だが、
円仁が「尺八を吹いた」ということに触れてないのは
残念。
1212年頃の書かれた源顕兼の『古事談』に、「慈覚
大師円仁が、中国五大山で“声明”を学んで帰国し、
それを比叡山で普及しようとしたが、音声不足を補う
ため、尺八でもって『引声阿弥陀経』を吹いた」との
記述があるのだ。
慈覚大師円仁は794-864、平安時代初期、最澄が
拓いた天台宗比叡山延暦寺の三代目座主。数ある
名僧高僧の中で初めて「大師号」を受けた高僧だ。
中国から帰国したのが838年。慈覚大師の開基と
いう寺は東北から四国まで、全国に300以上もある。
最期は山形県の立石寺で没した。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
慈覚大師円仁のことも、詳細に紹介している。だが、
円仁が「尺八を吹いた」ということに触れてないのは
残念。
1212年頃の書かれた源顕兼の『古事談』に、「慈覚
大師円仁が、中国五大山で“声明”を学んで帰国し、
それを比叡山で普及しようとしたが、音声不足を補う
ため、尺八でもって『引声阿弥陀経』を吹いた」との
記述があるのだ。
慈覚大師円仁は794-864、平安時代初期、最澄が
拓いた天台宗比叡山延暦寺の三代目座主。数ある
名僧高僧の中で初めて「大師号」を受けた高僧だ。
中国から帰国したのが838年。慈覚大師の開基と
いう寺は東北から四国まで、全国に300以上もある。
最期は山形県の立石寺で没した。
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