現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

強清水の戦い

2019-08-23 09:16:56 | わが家のこと

テレビドラマでは、白虎隊も官軍と派手に斬り合いを

しているが、実際には刀槍を交えての白兵戦は行われていない。

実は、私の先祖「牧原源八郎」は、嫡男ではないから

「石(ごく)つぶし」。北会津村の名主「新田」家に居候し、

村人に読み書きソロバンを教え、医術なども施していた。

「官軍、会津に迫る」との知らせに、槍をもって城に向かった。

会津藩の成人はみな四方の国境に出払っていたから、城下に

残っていたのは老人と少年だけ。わが家の本家「牧原一郎」は

65歳で殿様を警護して滝沢本陣まで出陣。その弟の「奇平」は

63歳で「敢死隊」を率いて強清水(こはしみず)まで出向いた。

牧原源八郎は44歳、叔父の奇平に従っていた。

急遽 駆りめられたのは 郷頭、肝煎、僧侶、神主、相撲取り。

「士分に取り立てる」という俄かしのぎの口約束でかり集められたが

鉄砲も刀も扱ったことが無い。もっとも「牧原奇平」は郡奉行で

付近の村々を回っての食料調達が任務だった。

しかし迫りくる大砲、鉄砲の音に驚いて、隊員はみな逃げ出して

しまった。その責任をとって奇平は強清水で自決。

源八郎は、左腕に鉄砲玉が当たって負傷し、城の南を廻って、

北会津の新田家まで戻った。そこで手当てを受け、一命を

取り留めたことで、子孫が存続し、私がいる。。





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