「酒井勝軍」をネットで検索すると、3年前は50件ほどだったのが、6万件もアップされていた。最近にわかに注目され出したようだ。
「酒井勝軍」は明治6年(1894)の生まれ。アメリカに留学し、クリスチャンとなり、東京本郷に東京唱歌学校を設立して、賛美歌を通じてキリスト教の伝道を行っていた。高村光太郎の姉も通っていた。
ロシア語にも通じていたことと、「勝軍」という名前が乃木希典に気に入られ、日露戦争に従軍し、各国からの観戦武官の通訳を勤めた。その功により「ステッセルの」というピアノを下賜された。
五木寛之の「ステッセルのピアノ」という本によると、「ステッセルのピアノ」と云い伝えられるものは日本に数台あり、それはロシア、バルチック艦隊の艦長にそれぞれロシア皇帝から贈られてもので、日本海海戦で勝利した日本が戦利品として持ち帰ったものだった。
1927年(昭和2年)酒井はパレスチナやエジプトへ、ユダヤ研究のために軍から派遣された。エジプトではピラミッドも調査した。そして次第に「親ユダヤ」色を強め、「日本とユダヤ人は同祖」であると唱え、また日本にもピラミッドがあることを予言し、日本の各地でそれを発見してみせた。神の霊示を得て、その場所に行くと、まさしくそこに三角山があった。また、青森の「平来(へらい)村」にも行き、「へらい」は 「ヘブライ人」が来た場所。そこで発見した三角山こそ「キリストの墓」と主張して、話題をふりまいた。
「アルマゲドン(天魔両軍の最終決戦・日米戦争)の時が近づいているが、その時、神選民族ユダヤ人と天孫民族である日本人は勝利し、神州天子国が確立され、キリストの託身のである天皇が世界統治者として君臨する」という 神がかりな論を唱え、しばしば特高警察に捕らえられ、投獄されている。
ドイツと同盟を結んでいた日本としては「親ユダヤ」はまずかったのだろう。まして「ユダヤ人と天皇が同祖」というのは“不敬罪”であった。それでも、昭和15年に亡くなり、勲五等を授けられている。