現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

酒井勝軍 楽苑會

2021-06-16 10:42:59 | わが家のこと

樂苑會の成立を知るためには、その母体である「音楽新報社」についてまず触れなけれfばならない。

音楽新報社は1904(明治37)年2 月、山田源一郎(1869-1927)とキリスト教伝道師で賛美歌と唱歌の普及を目指す酒井勝軍(1874-1940)によって創業され、2月23 日に月刊誌『音楽新報』を創刊した。雑誌発行に際して小松耕輔が編集人として呼ばれ、その後すぐに小林愛雄も同人として参加するようになった。

『音楽新報』創刊号の巻頭言は同誌発刊の主旨として、「理想的社会の要因たる音楽」の社会的地位および発言権の欠如に鑑みて、音楽活動の活発な推進を図るよう唱っている。

『音楽新報』は明治・大正期の音楽雑誌と同様に、紙面は論文、楽典、西洋音楽の紹介、音楽エッセー、音楽会評、音楽会案内、人物動向、新曲紹介などから構成され、洋楽、邦楽を問わず様々なテーマが扱われている。

創刊号の表紙にはDie Musik の文字とともに、竪琴を弾く女性が描かれ、それ以降も毎号ユーゲントシュティール風のデザインによる楽器をもつ女性像が表紙を飾っている。

音楽新報社は雑誌の発行だけでなく、1906(明治39)年5 月に樂苑會を興し、
また同年8 月には上田敏、東儀季治らを招いて音楽講演会を開催するなど多彩な活動を展開した。

中でも樂苑會の活動に音楽新報社の事業の重点が置かれた。1906(明治39)年の『音楽新報』第3 巻6 号の巻頭には樂苑子の筆により、会の抱負として、

従来の俗受けする音楽会を打破するために趣味高尚なる曲目を選び、その選択に当たっては音楽的価値を第一とすること、

会費は低額に抑えて若者の参加を希望すること、

オペラ上演は訳詞による西洋オペラと日本語による創作オペラの2本立てとすること、

日本古楽の保存および新楽の創作を行うこと、などが記されている。

樂苑會成立には、当時のヴァーグナー熱、坪内逍遙の「新樂劇論」発表、東京音楽学校による《オルフォイス》公演、《露営の夢》の創作などが少なからず影響を及ぼしたことだろう。

『音楽新報』は『音1908(明治41)年になると、山


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