「西郷邸での21人自刃」の話で、必ず語られるのが、
土佐藩士「中島信行」の美談です。
土佐藩士「中島信行」が、西郷邸に突入して見たものは、
一家21人の惨劇の場面。その中の一人の少女(長女の
「細布子」16歳)が 死に切れず 意識があり、「敵か、
お味方か?」と聞いた。中島は「味方です」と答えると、
少女は 安心した表情で「武士の情けを」と介錯を乞うた。
そこで中島は、苦しむ彼女に止めを刺すと、その場で
感涙したというもの。
これも、会津戦争のドラマの名場面ですが、土佐藩の
「中島信行」(1846年--1899年)は、実は 会津戦争には
参加していなかったことが、最近 明らかにされました。
「土佐藩の中島信行」ならば、後に板垣退助の自由党の
副総裁になる人物ですが、そもそも 本人がそのような
ことを語ったという記録は無いのです。
どうやら“人違い”“名前の聞き違い”だったようですが、
では いったい誰が その場面を目撃していて、その隊士の
名前を聞いたのでしょうか。これまた 不思議な話です。
土佐藩士「中島信行」の美談です。
土佐藩士「中島信行」が、西郷邸に突入して見たものは、
一家21人の惨劇の場面。その中の一人の少女(長女の
「細布子」16歳)が 死に切れず 意識があり、「敵か、
お味方か?」と聞いた。中島は「味方です」と答えると、
少女は 安心した表情で「武士の情けを」と介錯を乞うた。
そこで中島は、苦しむ彼女に止めを刺すと、その場で
感涙したというもの。
これも、会津戦争のドラマの名場面ですが、土佐藩の
「中島信行」(1846年--1899年)は、実は 会津戦争には
参加していなかったことが、最近 明らかにされました。
「土佐藩の中島信行」ならば、後に板垣退助の自由党の
副総裁になる人物ですが、そもそも 本人がそのような
ことを語ったという記録は無いのです。
どうやら“人違い”“名前の聞き違い”だったようですが、
では いったい誰が その場面を目撃していて、その隊士の
名前を聞いたのでしょうか。これまた 不思議な話です。