現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

山口県と虚無僧 その1

2016-06-11 03:35:41 | 山口県と虚無僧

現存史料の中で「虚無僧」の最古の記録は、『大内氏壁紙』と
言われている。今回の旅で、山口県下関市長府にある『長府
博物館』で現物を見てきた。

文明18年(1486)の禁制に「薦僧、放下、猿引の事、当所併
近里を払う可き事」とあり、「虚無僧」ではなく「薦僧」で
あった。これは 1530年頃書かれた『三十二番職人歌合せ』
の「こも僧」と同じで、それより50年ほど前の記録となる。

室町時代、応仁の乱で都も荒れ果て、足利8代将軍義政は
政治から逃避し、銀閣寺を建てて引き籠もっていた頃。
西国では大内氏が周防、長門、豊前、筑前の四カ国を支配
していたが、世情不安で、よそ者の入国を厳しく禁じていた
のである。

尚、文明13年(1481)に一休は 88歳で亡くなっている。山口で
薦僧の入国を禁止していたということは、一休の時代には
薦僧が全国的に回遊していたことになる。その身分は放下や
猿回しと同じ遊芸人に近いものだった。

「薦(こも)むしろ」を腰に付け、野山に止宿するので「こも僧」
だった。それが「虚無僧」になるのは江戸時代なのだ。江戸時代
でも「薦僧、虚妄僧」と書かれていた。40年前、私が新潟を旅した
時「おこもさん」と呼ばれたことを記憶している。「お薦さん」は
「乞食」の別称であることを、その当時は知らなかった。



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