現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

なぜ、今「砂の器」?

2011-09-12 20:15:50 | 心の問題
松本清張は『砂の器』で 何を 云いたかったのか。

「人生 生まれ変われるものなら、やり直したい」。
そんな夢を『砂の器』は 打ち砕く。

『ゼロの焦点』も『飢餓海峡』(水上勉)も『人間の
証明』(森村誠一)も、みな、知られたくない過去を
暴くという推理。私としては なんか スッキリしない。
過去は 暴き立てず そっとしてやればいいのにと思う。

ところで、『砂の器』は、リアリティが無い。
遍路乞食で、学校にも行けず、両親も身寄りもない
秀夫が、20歳過ぎて、「天才ピアニスト、作曲家」
として世に表れるなんて、まず、ありえない。
ピアノはどうやって手に入れたのだ。

遍路乞食だった少年が、天才ピアニストに変身する
までの過程は全く説明されていない。

「両親も家も無い少年でも、努力次第で シンデレラ
ボーイになれる」というストーリーなら、今回の震災で
親を失った子共たちに、希望を与える話となっただろうに、
逆に絶望的な結末では、今この時期、タイミングの悪い
放映だった。





「砂の器」改作部分

2011-09-12 12:28:39 | 虚無僧日記
「砂の器」の原作では、本浦秀夫の父「千代吉」が
「ハンセン病」だったことが、事件の発端となっている。

1974年の映画化当時、すでに「ハンセン病は伝染性は弱く、
治る病気」とされ、ハンセン病患者への差別撤廃と救済が
叫ばれつつあったので、これをそのまま映像化することに
猛反対があったという。

結局、映画の最後に「ハンセン病患者が 遍路となって
物乞いをする風習は無くなった」というナレーションを
流すことで決着したとのこと。

私は、はからずも、この映画で「遍路乞食の中には
ハンセン病患者もいた」ということを知った。

当時は「ライ病」と言っていた。今は「らい病」で
変換キィを叩いても、漢字が出てこないほど、「らい病」
という言葉もタブー視されるようになった。

宮崎アニメの『もののけ姫』でも、顔から体中、包帯を
巻いた人が登場してくる。知る人が見れば「らい病患者」だ。

さて、それで 中居君主演のテレビでは、父千代吉は
「殺人犯」ということになった。それも、ダム建設反対
とからめて、村八分にされたゆえの復讐ということで
視聴者の同情を得る。

玉木宏(今西刑事役)「砂の器」では、「村長一家殺しの
疑いをかけられて」と、「名張ぶどう酒」事件を連想
させる設定に変えられた。

いずれにしろ、昨今の「遍路」ブームは、この「砂の器」が
火付け役か?。私も、この「砂の器」の「遍路」にしびれて
「虚無僧」になったのだ。

『砂の器』 戸籍を偽造してまで、隠したかった過去とは

2011-09-12 11:10:36 | テレビ・映画・芸能人
では、本浦秀夫が、戸籍を偽造してまで、隠したかった
過去とは?

原作は、秀夫の父「本浦千代吉」は、ハンセン病で
村を出、遍路乞食となった。当時は「ハンセン病は
恐ろしい伝染病」とされていたのだから、子供を
連れて旅をするというのは、解せない。

加藤剛主演の映画では、千代吉は ハンセン病で
手先が変形しているから、子供の手を借りなければ
食事もできないように描かれている。

千代吉役は「加藤 嘉」。(偶然親子とも役者が、加藤姓)
Wiki-pediaで引くと、「ゼロの焦点」「飢餓海峡」
「点と線」他 300本余りの映画に出演している名脇役。
特に「砂の器」では「鬼気迫る演技を見せた」と。
(なんと、慶応高校出身とは驚いた)

映画の1シーン。村の入口に「乞食、伝染病患者、
物貰い、村に入るを禁ず」と立て札があった。
ボロボロの身なりで、一目、ハンセン病と判る
千代吉親子は、村人からも、警官からも追い立て
られる。あのシーンには泣けた。

40年前、初めて虚無僧の旅をした時、ある村の入り口に
「押し売り、物乞い、獅子舞お断り」の立て札があった。

最近でも ある町で「警察署」が制作して配布した
防犯シールが各戸口に張ってあった。そこには、
「セールス、勧誘、寄付、托鉢 お断り」と。
保険のセールスも虚無僧も「お断り」の対象とは、
「チョットォ~」である。


「砂の器」 2011年版

2011-09-12 09:46:52 | テレビ・映画・芸能人
今年3月12日・13日放送予定だったテレビ朝日の『砂の器』。
震災報道で延期され、9月10、11日に放映された。

たまたま先日 You-tubeで、加藤剛の映画版と、中居正広の
TV版を断片的に見ていたところだった。

天才ピアニスト兼作曲家の和賀英良こと本浦秀夫を、1974年
の映画では加藤剛が、2004年のTBS「日曜劇場版」では
中居正弘が演じた。

2作品とも、犯人の「和賀英良こと本浦秀夫」を主役にして
描かれているのに対して、今回のテレビ朝日では、刑事・
吉村弘氏の視点で描いている。配役も「玉木宏」。
和賀英良は「佐々木蔵之介」。

「加藤剛」も「中居正広」もキャラが“善人”すぎて、
なんで、恩人の三木巡査を殺さねばならなかったのかが、
いまひとつ弱かった。

今回の「佐々木蔵之介」の「目つき」は、差別に耐えて
必死に生きてきた男の執念を感じさせる。

前回の作品では、「中居正広」がテーマ曲の千住明作曲
『宿命』を 猛特訓の末、自ら弾き、また、後半は、
ほとんどセリフ無しで、追いつめられる不安と恐怖を、
目の表情だけで演技し、好評だった。

それだけに、なぜ 今 五度目のリメイクなのか。
しかも、原作に近く、戦前戦後の時代設定だ。建物も
衣装も乗り物も、当時のものを揃えるのは大変だった
だろうに。

本作は、原作に近づけて、昭和20年の空襲で、法務局の
戸籍の原簿が失われ、戦後、本人の申し立てだけで、
戸籍の回復ができたことが鍵となっている。

折りしも、今年3月、津波で一家全員が亡くなられたり、
役場の住民票も流されるという事件が起きた。
タイミングが、あまりにもよすぎる。いや、良いのか
悪いのか・・・・。

そういえば、水上勉の『飢餓海峡』は、昭和29年の
台風16号による洞爺丸沈没事件。内田康夫の『平家
落人伝説』は昭和34年の伊勢湾台風によって、戸籍を
取替え、他人になりすます話だ。現実には考えられ
ない話。作家の妄想とは すごいものと感心する。