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現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

尾張名古屋の再評価

2011-09-08 13:05:40 | 虚無僧日記
尾張藩幕末風雲録-血らずして事を収めよ』(渡辺博史)
 ブックショップ・マイタウン 2,650円

この本は、名古屋人の気質の“特殊性”を教えてくれる。

「名古屋検定試験、その①『名古屋城は誰が建てたか?』
「大工さん」ではない「徳川家康」が正解。

名古屋城の築城は慶長12年(1607)。これは家康の関東入封
から17年後。「関が原の合戦」から7年後。「大阪滅亡」の
7年前。

つまり、名古屋は、西国への備えとして新たに造られた
「軍事都市」だった。大垣-岐阜を通る「東山道(中山道)」と
桑名から海路を熱田に来る「東海道」の要衝を守るために
造られた。

「軍事都市」だから、“よそ者”の往来を許さず、江戸
初期においては、商業も文化も栄えなかった。「名古屋は
文化不毛」というのは、このスタート時にある。

それが一転するのは、100年後。8代将軍「吉宗」に
ライバル心を燃やした 尾張7代藩主「宗春」。
幕府の緊迫した財政立て直しのために「質素倹約令」を
発した「吉宗」に対して、「宗春」は、それを無視。
歌舞音曲を許し、「名古屋は芸どころ」と言われる
文化を築いた。

しかし、そのことが吉宗の逆鱗に触れ、「宗春」は
隠居謹慎。その処分にもおとなしく従う。

幕末に、尾張がさっさと徳川宗家を見限ったのは、
紀州家出身の「吉宗」との確執かとも言われるが、
どうもそうではないらしい。成瀬、竹腰の二家老は、
家康から派遣された目付役でもあり、家臣共は、
あくまで「お家安泰」のために、徳川宗家に従順
だった。

そして幕末、尾張の支藩「高須松平家」の「慶勝」が
聡明の噂高く、藩主に迎えられる。そして、慶勝は
「長州征討」の総督を命ぜられる。

この時 慶勝は、戦う意思はさらさら無く、長州藩の
家老3人の首を差し出させて、さっさと引き揚げて
しまった。

このことは、長らく「不甲斐ない」所業とされて
きたが、「内戦などやっている場合ではない」と
いうのは、坂本龍馬とも同じ意見。今日、平成の世
には、受け入れられる決断だ。

時代が変わり、評価も変わる。尾張藩の立場を再評価
させた「渡辺博史」氏の卓見にも感心する。


ブックショップ・マイタウンから「虚無僧関連」の書

2011-09-08 12:19:52 | 虚無僧日記
私が「ブックショップ・マイタウン」を知ったのは、
芥見村 虚無僧闘諍一件』(全4巻 8,400円)を世に
出したこと。高校教師の鬼頭勝之氏が古本屋で見つけ、
その印影本。

岐阜の芥見(あくたみ)で、甲州乙黒の明暗寺と、浜松
普済寺の虚無僧が、留場(とめば=縄張り)争いを起こし、
死者まで出る騒ぎとなった。それに佐屋の船頭まで加わって
いて、その者が江戸まで出頭しての裁判の経緯を綴った
記録。この事件をきっかけに 幕府は普化宗の弾圧に
乗り出す。明治になって普化宗が廃宗となったのも、
この事件で、虚無僧の実態が明らかにされたからとも
いえる貴重な古記録である。

鬼頭勝之氏は、この古文書を使って「古文書解読」の
勉強会も開いておられた。そして、この解説書、
■『普化宗弾圧の序曲』( 3,150円 )も出版され、
虚無僧研究に一石を投じられた。

さらに 出たのが、■『虚無僧雑記』(3,150円)。
『金城温古録』の著者、奥村得義が書いた『虚無僧雑記』を、
小寺玉晁が増補・校訂したもの。本書は、静嘉堂文庫に
所蔵されていたものの印影本。「家康公掟目、諸国の
普化宗寺院、尺八伝来記、関係古文書などが収録されて
おり、虚無僧研究のうえでも貴重な史料となっている。

私が名古屋を離れられないのは、虚無僧に関しての
意外な史料が まだまだ出そう だから でもある。

名古屋は郷土史不毛

2011-09-08 09:28:23 | 虚無僧日記
信長、秀吉、家康の三英傑を産みながら、「郷土史不毛」の
名古屋で、ひとり奮闘されている方がいる。
ブックショップ・マイタウン」を経営する「舟橋武志」氏。
名古屋関連の書を、すでに 200冊近くも出版しているのだが、
店は新幹線の高架下の貸し事務室街。人通りも全く無く、
「普通の本屋のような店舗は構えられない」とのことで、
インターネットを通じて販売している。

会津では「歴史春秋社」が、会津関係の書を400冊以上も
出しており、コンビにや道の駅、観光土産物店でも売られて
いたのに比べると、名古屋の郷土史本は不遇だ。  

最近出たのが『尾張藩幕末風雲録-血らずして事を収めよ
(渡辺博史著 2,500円)
幕末、大政奉還から鳥羽伏見へと大転換の中、御三家筆頭
でありながら、いち早く薩長に恭順してしまった尾張藩主
徳川慶勝。会津側から見れば、「裏切り、腰抜け、会津藩主
松平容保の実兄でもあるのに、兄弟の情もない冷たい仕打ち」
という評価だが、この書は「慶勝の冷静沈着で即断即決の判断が、
江戸の無血開城へと導き、さらには 明治になって、会津藩の
救済にも尽力し、明治維新の大転換を最小限の混乱と被害で
収めた」と再評価している。

渡辺博史は、「幕末史については、新撰組や会津白虎隊の
悲劇など、断片的な話はいくらでもあるが、江戸幕府の
崩壊から明治新政府の樹立までの過程を 総合的に把握
できる書は少ない」と。

なるほど、おっしゃるとおり。この書は「仲介役の尾張慶勝」に
軸足を置いて、幕末、明治維新を解き明かした。文章も
実に読みやすく 解りやすい。