現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

9/19 敬老の日 『ぼけない五ヵ条』

2011-09-19 15:32:22 | 虚無僧日記
この連休3日間、3ヶ所の「敬老会」に招かれ、
大忙しで、ブログ書けず、すみませんでした。

「元気なお年寄り」が多いところもあれば、終始
無言、無表情の方ばかりのところも。

概して、80代90代の男性は笑わない。「男は黙って」の
世代だ。

反応がいいと、こちらもノルが、全く無反応では
やりずらい。ギャグが全くうけないのは、意味が
理解できないのか、耳が遠いのか。

その点、尺八はいい。ぺちゃくちゃおしゃべりして
いたご婦人も「赤とんぼ」「花嫁人形」で、シンとなる。

耳の聞こえない方でも、心で聞いているのか、目に
涙を浮かべる方も。こうなると、もう下手なギャグは
いらない。強いて「笑ってもらおう」と必死になら
なくても、尺八の力は言葉以上だ。

(「敬老会」の配布物の中に、こんなチラシが )

『ぼけない五カ条』

 一 仲間がいて、気持ちの若い人
 二 人の世話をよくし、感謝のできる人
 三 ものをよく読み、よく書く人
 四 よく笑い、感動を忘れない人
 五 趣味の楽しみをもち、旅の好きな人


私は、全項目クリヤーしている。虚無僧稼業は、ぼけ
防止にいいかもよ。

帝銀事件

2011-09-19 15:29:20 | 虚無僧日記
私が生まれたのは、1948年(昭和23年)2月4日。

「誕生日の新聞(コピー)」をもらうと、一面
トップに「帝銀事件」の記事。それで、子供の
頃から、この「帝銀事件」には関心があった。

小倉の「松本清張記念館」に行って、「日本の
黒い霧」に関しての映像を見た。圧巻だった。

「帝銀事件」とは、昭和23年 1月26日、豊島区の
帝国銀行(現在の三井住友銀行)椎名町支店で
発生した殺人事件。

「区役所の者」と名乗る男が、「集団赤痢が発生した」と
偽って、行員ら16人に青酸カリ溶液を飲ませた。
行員12人が死亡、男は現金10数万円を奪って逃走した。

「青酸カリ」を飲ませるにあたって、一回目は少量を、
1分後にもう一度、イッキに飲ませていることから、
「青酸カリ」の致死量を知っている者でなければ、
このようなことはできない。ということで、元「731
部隊の関係者」に捜査の対象がが絞られた。ところが、
突如GHQから「731部隊」への捜査の「中止命令」が
出される。

そこで、伝説の刑事「平塚八兵衛」が登場する。
八兵衛は、類似事件で使用された「松井蔚」の名刺に
着目。松井氏が名刺交換した相手を一人ひとり丹念に
当たり、その中の一人「テンペラ画家の平沢貞通」を
逮捕した。

「平塚八兵衛」の功績は「伝説の刑事」として賞賛され、
昨年だったか「渡辺謙」主演でテレビドラマにもなって、
好評だった。

しかし、松本清張は「毒物に全く無知の平沢貞通にできる
ことではない」と断じている。毒物の入手先も調べずに、
また、アリバイもあったにもかかわらず、平沢は犯人とされ、
1955年に死刑判決が確定。しかし、死刑執行はされず、
平沢は無罪を主張したまま 1987年、95歳で病死した。

「731部隊」については、森村誠一の『悪魔の飽食』で
世に知られるようになった。なんと、生体実験のデータを
アメリカに渡すことで、「731部隊」の戦争犯罪は
帳消しにされた。

あげく「平沢貞通」という善良なテンペラ画家が
でっちあげ逮捕され、95歳まで自由を奪われたのだ。


JR社長自殺?と国鉄総裁「下山事件」

2011-09-19 15:27:33 | 虚無僧日記
「迷惑かけた」不明のJR社長、書き置き十数通(読売新聞) - goo ニュース


JR北海道の中島尚俊社長(64)が 自殺した。
数十通もの遺書を残して行くへ不明となり、今日
遺体が発見された。

5月に起きた石勝線の特急列車脱線炎上事故など、
一連の不祥事で心労がたまっていたというが、
(そんなことで・・・)とも思ってしまう。

そこで、思い出すのが、国鉄総裁「下山事件」。
S23年の「帝銀事件」の翌年、昭和24年(1949)に起きた。
この年 6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の初代
総裁に就任したばかりの「下山定則」氏が、7月5日朝、
出勤途上で消息を絶った。

そして、その日のま夜中、国鉄常磐線の線路上で、0時20分
頃に通過した下り貨物列車第869列車(D51 651号牽引)に
轢断され、未明になって発見された。

事件発生直後から自殺説・他殺説が入り乱れ、警察は
公式の捜査結果を発表することなく捜査を打ち切った。

松本清張は「日本の黒い霧」で、この事件もGHQが
関与していたのではないかと疑っている。

下山事件から約1ヵ月の間に「三鷹事件」「松川事件」が
相次いで発生し、三事件を合わせて「国鉄三大ミステリー
事件」と呼ばれる。

私は、当時1歳の乳幼児であったが、なぜか記憶している。
それは、モノ心ついた頃、新聞、雑誌で見た写真でかも
しれない。帝銀事件もそうだが、遺体の写真などが、
当時は公表されていたのだ。下山総裁の轢断写真など
私は、異常な関心をもって見ていた。