『所謂念仏者は、法華経を捨てて念仏を申す。日蓮は法華経を持といへども念仏を持たず。我等は念仏を持ち、法華経をも信ず。戒をも持ち一切の善を行ず、等云云。
此等は、野兎が跡を隠し、金鳥が頭を穴に入れ、魯人が孔子をあなづり、善星が仏ををどせしにことならず。鹿馬迷いやすく鷹鳩変じがたき者なり。墓無し墓無し。(下山御消息 362頁)』(読みやすいように、句読点、改行を加えました)
冒頭にあげた文は、御書十大部にも入っている『下山御消息』にあるものです。
御書を拝するたびに、日蓮大聖人は、稀代のユーモリストであり、稀代の皮肉屋であり、実に魅力にあふれた人物で、決して聖人君子然とした、高飛車な存在ではなかったのだな、と感心してしまいます。
と同時に、鎌倉時代と言う、日本の歴史上かつてないほどの激動の時、一国こぞって思想が乱れ、人心が乱れ、まさに末法の時に出現され、日本一国にとどまらず、鎌倉時代のみにとどまらず、はるか未来まで、全世界の民衆を救わずにおくものか、という気迫にあふれた人だった、ということがわかります。
日蓮大聖人は、金ぴかの仏ではなく、凡夫のままで仏だったから、真に偉大だったのだ、ということでしょうか。
冒頭の文に戻りましょう。
これは当時の人々が、大聖人やその一門の人たちに対して言った悪口を、半ば揶揄して、半ば哀れんで言われたものではないか、と思います。
冬の野うさぎは、何を表わしているのでしょうか。
金鳥は、何の象徴なのでしょうか。
このまま通解しても、つい笑ってしまうのですが、ここはやはり意訳の方がわかりやすいでしょう。
冬の野うさぎは、自分の足跡を知られまいとして、一生懸命雪の中を逃げていきます。じっとしていれば、真っ白の雪の中に、白い毛皮の冬の野うさぎは、見つかることはないはずなのに、見つかりたくなくて雪の上に足跡を残して、その存在を教えてしまうのです。
金鳥はもっと滑稽です。穴の中に頭を突っ込んで、自分にとって世界は真っ暗だから、きっと闇に紛れた自分も見つからないはずだ、と思っているというのです。
ところが、隠れているのは頭だけ。首から下は、きっと羽を畳んでじっとしているのでしょう。
そう、頭隠して尻隠さず、なのです。
これを大聖人は『鹿馬迷いやすく鷹鳩変じがたき者なり。墓無し墓無し』とおっしゃっているのです。
たぶん鎌倉時代当時、大聖人に言われるまでもなく、法華経の方が優れている、と知っている者は、他宗の信者の中にも、いたはずです。それは鎌倉時代の後、室町時代になっても、成仏のためには法華経だ、と言われていたと思われる節があることでも確かです。
たとえば現代においても、身内の葬儀で僧侶に「何が一番良いお経か?」と尋ねた人に「法華経です。どうしてもと希望されるのだったらあげますけど、布施はそれなりに……」と言った、ということからでも証明できるでしょう。
しかし、世は念仏一辺倒の時代。自分で賢いと思っている人は、法華経も信じ、念仏も信じ、戒律を保ちながら、良いと思われることは何でもやっていたのです。そして大聖人やその門下に対しては、あいつらは法華経は持っているけど念仏を持っていない。ぬけた奴どもだ、とでも言っていたのでしょう。
その姿を大聖人は、冬の野うさぎに例え、金鳥にたとえ、魯迅や善星に例えられたのだと思います。
もっと言えば、我こそは大聖人の直系である、と言って、大聖人の仏法のまっとうな実践者を偽物のように言い、やっていることと言ったら、大聖人の弟子をを騙る似非もの、が、この冬の野うさぎや金鳥で譬えられている人たちなのかもしれません。
そんな人たちは、きっと言うでしょう、「あなたたちは間違っています、私を攻撃する者は邪義です」と。
そして、まともな信仰者は絶対にしないことをしでかした足跡を、どこかに残している者は、このたとえに当たるのでしょうか。
愚かな野うさぎや、金鳥のように、御本仏に笑われるようなことだけは、してはいけないし、そんな人の仲間にもなってはいけない、とそう感じた一文でした。
此等は、野兎が跡を隠し、金鳥が頭を穴に入れ、魯人が孔子をあなづり、善星が仏ををどせしにことならず。鹿馬迷いやすく鷹鳩変じがたき者なり。墓無し墓無し。(下山御消息 362頁)』(読みやすいように、句読点、改行を加えました)
冒頭にあげた文は、御書十大部にも入っている『下山御消息』にあるものです。
御書を拝するたびに、日蓮大聖人は、稀代のユーモリストであり、稀代の皮肉屋であり、実に魅力にあふれた人物で、決して聖人君子然とした、高飛車な存在ではなかったのだな、と感心してしまいます。
と同時に、鎌倉時代と言う、日本の歴史上かつてないほどの激動の時、一国こぞって思想が乱れ、人心が乱れ、まさに末法の時に出現され、日本一国にとどまらず、鎌倉時代のみにとどまらず、はるか未来まで、全世界の民衆を救わずにおくものか、という気迫にあふれた人だった、ということがわかります。
日蓮大聖人は、金ぴかの仏ではなく、凡夫のままで仏だったから、真に偉大だったのだ、ということでしょうか。
冒頭の文に戻りましょう。
これは当時の人々が、大聖人やその一門の人たちに対して言った悪口を、半ば揶揄して、半ば哀れんで言われたものではないか、と思います。
冬の野うさぎは、何を表わしているのでしょうか。
金鳥は、何の象徴なのでしょうか。
このまま通解しても、つい笑ってしまうのですが、ここはやはり意訳の方がわかりやすいでしょう。
冬の野うさぎは、自分の足跡を知られまいとして、一生懸命雪の中を逃げていきます。じっとしていれば、真っ白の雪の中に、白い毛皮の冬の野うさぎは、見つかることはないはずなのに、見つかりたくなくて雪の上に足跡を残して、その存在を教えてしまうのです。
金鳥はもっと滑稽です。穴の中に頭を突っ込んで、自分にとって世界は真っ暗だから、きっと闇に紛れた自分も見つからないはずだ、と思っているというのです。
ところが、隠れているのは頭だけ。首から下は、きっと羽を畳んでじっとしているのでしょう。
そう、頭隠して尻隠さず、なのです。
これを大聖人は『鹿馬迷いやすく鷹鳩変じがたき者なり。墓無し墓無し』とおっしゃっているのです。
たぶん鎌倉時代当時、大聖人に言われるまでもなく、法華経の方が優れている、と知っている者は、他宗の信者の中にも、いたはずです。それは鎌倉時代の後、室町時代になっても、成仏のためには法華経だ、と言われていたと思われる節があることでも確かです。
たとえば現代においても、身内の葬儀で僧侶に「何が一番良いお経か?」と尋ねた人に「法華経です。どうしてもと希望されるのだったらあげますけど、布施はそれなりに……」と言った、ということからでも証明できるでしょう。
しかし、世は念仏一辺倒の時代。自分で賢いと思っている人は、法華経も信じ、念仏も信じ、戒律を保ちながら、良いと思われることは何でもやっていたのです。そして大聖人やその門下に対しては、あいつらは法華経は持っているけど念仏を持っていない。ぬけた奴どもだ、とでも言っていたのでしょう。
その姿を大聖人は、冬の野うさぎに例え、金鳥にたとえ、魯迅や善星に例えられたのだと思います。
もっと言えば、我こそは大聖人の直系である、と言って、大聖人の仏法のまっとうな実践者を偽物のように言い、やっていることと言ったら、大聖人の弟子をを騙る似非もの、が、この冬の野うさぎや金鳥で譬えられている人たちなのかもしれません。
そんな人たちは、きっと言うでしょう、「あなたたちは間違っています、私を攻撃する者は邪義です」と。
そして、まともな信仰者は絶対にしないことをしでかした足跡を、どこかに残している者は、このたとえに当たるのでしょうか。
愚かな野うさぎや、金鳥のように、御本仏に笑われるようなことだけは、してはいけないし、そんな人の仲間にもなってはいけない、とそう感じた一文でした。
世は「政権選択」なる言葉に煽られ
実績も思想わからない候補が
簡単に権力の側に回ろうとしています。
問題なのは
その人物の人ナリ・善悪を評価できない、ということは
庶民のために本当に動いた人間も時として
正しく評価されず
陥れられる、ということではないでしょうか。
約束した四番目
私ども、九州青年部は怒りに似た攻めの精神で
”野うさぎ”な世相を斬って参ります。