死刑が確定した元プロボクサー、袴田巌死刑囚(71)が再審を求めている
「袴田事件」で、一審・静岡地裁で死刑判決を書いた熊本典道元裁判官(69)が
「公判当初から無罪の心証があった」として、再審を求める上申書を最高裁に
提出した。
上申書の提出後、熊本さんは東京都内の司法クラブで会見し、「袴田君の犯行と
いえるような証拠は極めてゼロに近かった」と明かした。
80年に死刑が確定。再審請求は静岡地裁、東京高裁で退けられ、最高裁に特別
抗告している。 (NIKKEI NET 2007.06.25 14:19)
テレビのニュースでちょっと見ただけで言うのもなんですが、今更、死刑と書いた
本人にその時から無罪と思っていたと言われても、80年に死刑が確定してからの
『27年間を返して』と言われてしまうんでないべか?
当地では、先日梅田さんが亡くなった。
梅田さんは、50年10月に当市の山道で営林局員の男性が殴り殺され現金が奪われた
事件の共犯者として、57年に強盗殺人と死体遺棄の罪で無期懲役が確定した。
起訴直前から無実を主張、収監中に再審請求をしたが認められなかった。
71年に仮釈放された後、82年に2度目の請求が認められ、86年に釧路地裁で
無罪判決を受け、確定した。
捜査段階の自白と客観的事実の矛盾から「自白の信用性は認められない」と判断された。
(asahi.com 2007年06月20日20時48分)
「袴田事件」で、一審・静岡地裁で死刑判決を書いた熊本典道元裁判官(69)が
「公判当初から無罪の心証があった」として、再審を求める上申書を最高裁に
提出した。
上申書の提出後、熊本さんは東京都内の司法クラブで会見し、「袴田君の犯行と
いえるような証拠は極めてゼロに近かった」と明かした。
80年に死刑が確定。再審請求は静岡地裁、東京高裁で退けられ、最高裁に特別
抗告している。 (NIKKEI NET 2007.06.25 14:19)
テレビのニュースでちょっと見ただけで言うのもなんですが、今更、死刑と書いた
本人にその時から無罪と思っていたと言われても、80年に死刑が確定してからの
『27年間を返して』と言われてしまうんでないべか?
当地では、先日梅田さんが亡くなった。
梅田さんは、50年10月に当市の山道で営林局員の男性が殴り殺され現金が奪われた
事件の共犯者として、57年に強盗殺人と死体遺棄の罪で無期懲役が確定した。
起訴直前から無実を主張、収監中に再審請求をしたが認められなかった。
71年に仮釈放された後、82年に2度目の請求が認められ、86年に釧路地裁で
無罪判決を受け、確定した。
捜査段階の自白と客観的事実の矛盾から「自白の信用性は認められない」と判断された。
(asahi.com 2007年06月20日20時48分)