秋篠宮の大嘗祭国費充当疑義発言無視は安倍晋三の手を経た、あるいは宮内庁による天皇の政治利用

2018-12-06 12:34:39 | 政治
                                      

 秋篠宮が53歳の誕生日を11月(2018年)30日に迎えるに当たって11月22日に記者会見を行い、皇室行事である宗教色が強い大嘗祭に国費充当は適当かと疑義を呈したことに関して日本国憲法第1章第4条1項の「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とする天皇の政治的行為の禁止規定・天皇の政治的中立性に抵触する発言とはならないかといった疑問が起きた。

 一昨日12月4日(2018年)の当ブログにも取り上げたが、問題となっている記者会見での発言を再度ここに記載する。

 「秋篠宮記者会見」(宮内庁サイト/2018年11月22日)

 記者「殿下にお尋ねいたします。お代替わりに関する日程や規模について,いろいろ宮内庁の方でも発表があり,決まりつつありますが,先ほど殿下には皇嗣となられる公務の在り方についてのお考えをお聞きしましたが,即位の行事や儀式についてもお考えがあればお聞かせいただきたく思います。

 秋篠宮「行事,そういう代替わりに伴う行事で,いわゆる国事行為で行われる行事,それから皇室の行事として行われるものがあります。国事行為で行われるものについて,私が何かを言うことができるかというと,なかなかそういうものではないと思います。そういうものではないんですね。一方,皇室の行事として行われるものについてはどうか。これは,幾つかのものがあるわけですけれども,それについては,ある程度,例えば私の考えというものもあっても良いのではないかなと思っています」

 記者「具体的に」

 秋篠宮「具体的にもし言うのであれば,例えば,即位の礼は,これは国事行為で行われるわけです,その一連のものは。ただ,大嘗祭については,これは皇室の行事として行われるものですし,ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて,それを国費で賄うことが適当かどうか,これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども,その頃はうんと若かったですし,多少意見を言ったぐらいですけれども。

 今回も結局,そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ,私として,やはりこのすっきりしない感じというのは,今でも持っています。整理の仕方としては,一つの代で一度きりのものであり,大切な儀式ということから,もちろん国もそれについての関心があり,公的性格が強い,ゆえに国の国費で賄うということだと。平成のときの整理はそうだったわけですね。ただ,今回もそうなわけですけれども,宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに,それは,私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。

 今でも。ただ,それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ,そのできる範囲で,言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。少なくとも皇室の行事と言っていますし。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思いますし,そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ,残念ながらそこを考えること,言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています」

 秋篠宮の発言を纏めると、即位の礼以後に行う大嘗祭に関しては「宗教色が強い」ことから、「宗教行事と憲法との関係」から言って、いわば日本国憲法の政教分離の原則に則った場合、「国費で賄うことが適当かどうか」、政教分離の原則に抵触するのではないか、国費ではなく、「私はやはり内廷会計(天皇家の経費)で行うべきだ」と疑義を呈している。

 この発言には同じ記者会見の中に前段部分がある。

 記者「殿下にお伺いします。殿下は来年5月の代替わりに伴い,皇位継承順位第1位の皇嗣となられます。新たなお立場への抱負をお聞かせ下さい。公務の在り方や分担について新天皇となられる皇太子さまとどのような話し合いをされ,殿下がどのようにお考えになられているのか,あわせてお聞かせください」。

 秋篠宮「(発言前半は省略)これは抱負になるのかどうかは分かりませんけれども,これからも様々な公的な仕事をする機会があります。時として,例
えば宮中で行われる行事等については,それは平成の時代にも,行い方が変わったり,今の両陛下が変えられたものもあるわけです。

 そういうものについては随時話合いを,既にしているものもありますが,(今後も)していく必要があろうかと考えています」――

 丸かっこ付きの(今後も)の注釈は原文のママ。

 記者が秋篠宮自身の新たな立場に向けた抱負と代替わり後の公務の在り方や分担について皇太子と話し合っているのか、秋篠宮自身はそのことについてどう考えているのかと質問したのに対して秋篠宮は「抱負になるのかどうかは分かりませんけれども」と断りながら、宮中行事等の変化を"抱負"の形で述べている。

 「宮中で行われる行事等については,それは平成の時代にも,行い方が変わったり,今の両陛下が変えられたものもあるわけです」――

 時代の変化と共にある皇室の変容・政府の皇室に対する考えの変容についての言及となっている。

 「平成の時代にも,行い方が変わった」部分の多くは政府主導の変化であり、「今の両陛下が変えられたもの」とは皇室提案による100%なのか、一定程度なのか、いずれかの政府追認の変化ということを示唆していることになる。

 そして政府提案であろうと、皇室提案であろうと、宮中行事等の変化について、公務の在り方や分担にも関係することだが、政府と「随時話合いを,既にしているものもあり」、「(今後も)していく必要がある」と答えている。

 要するに"抱負"の形で述べた発言は宗教色が強い大嘗祭は皇室行事でもあることから、政教分離の原則上、国費充当ではなく、内廷会計(皇室経費)充当が適当とする秋篠宮自身があとで主張していることの伏線となっている。

 と言うことは、「既にしている」「随時話合い」の中には秋篠宮自身が疑義を呈した大嘗祭国費充当に関しても入っていた可能性が生じる。12月4日の当ブログでも秋篠宮の疑義は天皇家全体に関係していくことゆえに天皇や皇太子を差し置いて主張する類いのものではないことから、天皇家全体で共有する疑義ではないかと書いたが、話合いをしていながら聞き入れられなかったことから、大嘗祭国費充当の疑義に関しては「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ,残念ながらそこを考えること,言ってみれば話を聞く耳を持たなかった」という発言になったはずだ。

 この発言は秋篠宮の疑義に関わる主張が受け入れられなかった、無視されたという意味を取る。だが、宮内庁側はそうは受け止めていない。「NHK NEWS WEB」(2018年12月3日 17時41分) 

 12月3日定例の記者会見。

 宮内庁次長西村泰彦「政府の決定に反対をなさっているものではなく、宮内庁が、お考え、投げかけに、しっかりとした返答をしなかったことへのご叱責と受け止めております。

 意見の違いはあるとしても、宮内庁としての考えをご理解いただくことは必要で、二度とこのようなことがないよう、しっかりと対応して参りたい」

 2016年8月8日、当時82歳の現天皇が生前退位の意向をビデオメッセージで表明した。2017年6月9日、天皇の退位を一代限りで認める特例法が参院本会議で可決・成立した。2017年12月22日閣議決定の2018年度当初予算案の中に政府は天皇の退位と皇太子の即位関連の準備費用として35億6千万円を計上した。

 この計上から約3ヶ月後の2018年4月3日に「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う国の儀式等の挙行に係る基本方針」を閣議決定し、これらの儀式を「国事行為である国の儀式として、宮中において行う」などと決めている。

 この基本方針閣議決定の2018年4月3日から約8ヶ月も経っていると言うのに11月22日の記者会見で秋篠宮は大嘗祭国費充当の疑義を申し立てている。言葉では「政府の決定に反対」とは直接的に言っていなくても、政府が既に約8ヶ月も前に決定したことに対する疑義であること、その政府決定が宮内庁長官に伝えていた疑義に何ら応えていないことからすると、「政府の決定に反対」の意思表示を色濃く漂わせた疑義であると見なければならない。

 ところが、宮内庁次長の西村泰彦はこのような意思表示を一切無視して、宮内庁が秋篠宮の疑義に「しっかりとした返答をしなかったことへのご叱責と受け止めております」と、叱責の形に変質させてしまっている。西村泰彦のこの"叱責説"は宮内庁全体の考えでなければならない。西村泰彦個人の考えとして発言したものであっても、宮内庁全体の考えでなければ、宮内庁長官がその発言は宮内庁全体の考えではないと否定しなければならない。

 だが、現在のところ否定してはいない。西村泰彦が「政府の決定に反対しているわけではない」としたのは、そうした方が政府にとって好都合だからだろう。反対とした場合、日本国憲法が規定している天皇の政治的行為の禁止規定、いわば天皇の政治的中立性の問題に絡んでくる。

 官房副長官の西村康稔(やすとし)も2018年11月30日の閣議後記者会見で、「あくまで殿下ご自身の個人としてのお考えを述べられたもので、国政に影響を与えるものではないということから、憲法上の問題は生じない」(「NHK NEWS WEB」(2018年11月30日 11時56分)と発言、国政に影響を与えるような政府決定への反対ではない、ゆえに天皇の政治的行為の禁止規定、天皇の政治的中立性に抵触するわけではないと問題視しない考えを示している。

 だが、政府決定に反対の意思表示が色濃いにも関わらず大嘗祭に関わる秋篠宮の疑義を、あるいは天皇家全体の疑義を宮内庁次長西村泰彦が無視する、あるいは官房副長官西村康稔が問題視しないということは、少なくとも皇族側の大嘗祭の考え方を無視・問題外に置いて、政治側の考え方のみを絶対とさせていることを意味する。

 政治側が秋篠宮からも、あるいは天皇家からも制約も制限も受けずに(無視・問題外がこのことを証明している)自らを絶対と価値づけることは天皇家という存在自体を抹消して政治側のみを立たせていることになり、天皇家に対する強制――政治の為にする天皇の政治利用に他ならない。

 「宮内庁サイト」に、〈宮内庁は,内閣総理大臣の管理の下にあって,皇室関係の国家事務を担い,御璽・国璽を保管しています。〉なる文言が記載されている。

 当然、秋篠宮から疑義を伝えられた宮内庁長官山本信一郎は内閣総理大臣安倍晋三に報告しなければならない。報告をしないまま山本信一郎自身が秋篠宮の疑義に考えることもせず、聞く耳も持たずに自分一人で、あるいは宮内庁として"叱責説"に擦り替えて処理することを決めていたとしたら、不遜極まりない僭越行為を犯したことになる。

 安倍晋三に報告した上での天皇家に対する無視・問題外の措置であるなら、安倍晋三の手を経た天皇の政治利用となり、安倍晋三に報告しないままの無視・問題外であったなら、宮内庁による天皇の政治利用となる。

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秋篠宮の大嘗祭国費充当への疑義と象徴天皇制下で即位等の儀式を戦前天皇絶対制から伝統継承し、国事行為とすることの意味

2018-12-04 11:53:26 | 政治
                                      

 秋篠宮が自邸で53歳の誕生日に記者会見を行い、日本国憲法が禁じているにも関わらず国政への口出しとなりかねない発言をしたと、「口出し」との言葉は使っていないが、マスコミが取り上げていた。

 「秋篠宮記者会見」(宮内庁サイト)

 (一部抜粋)

 記者「殿下にお尋ねいたします。お代替わりに関する日程や規模について,いろいろ宮内庁の方でも発表があり,決まりつつありますが,先ほど殿下には皇嗣となられる公務の在り方についてのお考えをお聞きしましたが,即位の行事や儀式についてもお考えがあればお聞かせいただきたく思います。

 秋篠宮「行事,そういう代替わりに伴う行事で,いわゆる国事行為で行われる行事,それから皇室の行事として行われるものがあります。国事行為で行われるものについて,私が何かを言うことができるかというと,なかなかそういうものではないと思います。そういうものではないんですね。一方,皇室の行事として行われるものについてはどうか。これは,幾つかのものがあるわけですけれども,それについては,ある程度,例えば私の考えというものもあっても良いのではないかなと思っています」

 記者「具体的に」

 秋篠宮「具体的にもし言うのであれば,例えば,即位の礼は,これは国事行為で行われるわけです,その一連のものは。ただ,大嘗祭については,これは皇室の行事として行われるものですし,ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて,それを国費で賄うことが適当かどうか,これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども,その頃はうんと若かったですし,多少意見を言ったぐらいですけれども。

 今回も結局,そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ,私として,やはりこのすっきりしない感じというのは,今でも持っています。整理の仕方としては,一つの代で一度きりのものであり,大切な儀式ということから,もちろん国もそれについての関心があり,公的性格が強い,ゆえに国の国費で賄うということだと。平成のときの整理はそうだったわけですね。ただ,今回もそうなわけですけれども,宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに,それは,私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。

 今でも。ただ,それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ,そのできる範囲で,言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。少なくとも皇室の行事と言っていますし。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思いますし,そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ,残念ながらそこを考えること,言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています」

 即位の礼以後に行う大嘗祭に関しては「宗教色が強い」ことから、「宗教行事と憲法との関係」から言って、いわば日本国憲法の政教分離の原則に則った場合、「国費で賄うことが適当かどうか」、政教分離の原則に抵触するのではないか、「私はやはり内廷会計で行うべきだ」と疑義申し立てを行っている。

 「内廷会計」とは内廷費による支出のことで、「内廷費」について「Wikipedia」が、日本国憲法第4条第1項の条文を根拠とし、〈皇室経済法施行法によって定められる定額が毎年支出される。金額は定額制であり、1996年度以降毎年3億2400万円と規定されている。なお、内廷皇族以外の皇族には皇族費が支出される。〉、〈一旦支出された内廷費は扱いが宮内庁の経理に属する公金から「御手元金」(ポケットマネー)となり、余剰が発生しても返還の必要はない。この支出に対しては所得税及び住民税を課されない。〉などと解説している。

 2017年12月22日に2018年度の当初予算案が閣議決定され、天皇の退位と皇太子の即位関連の準備費用として35億6千万円を計上。このうち「即位の礼」などの儀式関係費は16億5300万円。

 この35億円超の準備費用から比べると、毎年の3億余の内廷費では、残っていたとして年々の余剰を加えたとしても、かなり規模縮小を強いられる。この規模縮小は宮内庁長官の2017年12月14日の定例会見発言とマッチする。

 「宮内庁」(平成29年12月14日)

 山本信一郎長官「『週刊新潮』(平成29年12月14日号)の記事について

 宮内庁は,「週刊新潮」12月14日号33ページに掲載された記事について,週刊新潮編集部に下記の内容を伝え,抗議をしました。

 『週刊新潮』12月14日号33ページにおいて,ある官邸関係者の打ち明け話として,

 『最近耳にしたのが,陛下が華やいだ雰囲気で皇居を去りたいお気持ちを持っていらっしゃるということ。具体的には,一般参賀のような形で国民に対してメッセージを発し,そのうえでパレードをしたいと考えておられるようです。その一方で官邸は,粛々と外国の賓客も招かずに静かにやりたいという考えがあって,そこで宮内庁とせめぎ合いをしていると聞いています』

 と掲載されています。

 平成の即位のときは,お代替わりと即位の礼の間に喪の一年間があり,即位の礼が執り行われるまでに1年10ヶ月の長い期間がありました。今次御譲位に当たっては,御譲位のある年の内,しかも数ヶ月の後という短い期間の後に,新天皇の即位の礼が執り行われます。

 そのようなことから,陛下は,法案が通った非常に早い時期から,譲位の儀式の方はできるだけ簡素になさりたいとのお考えをお持ちであり,とりわけ,外国賓客の招待については,新天皇の即位の礼にお招きすることの可能性を考えられ,御譲位の儀式にお招きするお気持ちはお持ちでない,また,一般参賀については,最近のヨーロッパ王室におけるお代替わりの行事において,例外なく王宮のバルコニーで新旧の国王による国民に対する挨拶が行われていたが,陛下におかれては,そのようなことをなさるお考えのないことを度々,我々に留意するようご注意を頂いていたところであります。パレードについての言及はこれまでありませんでしたが,以上のようなことから,華やかなものをお考えとはとても考えられないことです。

 宮内庁としては,このような陛下のお気持ちについては,早くより,十分に承知しており,内閣官房に対しても,御譲位の行事については,外国賓客を招いたりすることなく,宮殿内において粛々と静かに行われたい旨を伝えていたところであります。

 冒頭引用した記事に掲載されている陛下のお気持ちやお考えは,事実に全く反するものであり,これを陛下のお気持ちであるかのように報ずることは,国民に大きな誤解を与えるもので,極めて遺憾です。

 ここに,正しい事実関係を明らかにし,誤解を正すとともに,抗議いたします」

 「譲位の儀式(=退位式)の方はできるだけ簡素」、「一般参賀も考えていない」、「パレードについての言及はない」、こういった意向は内閣官房に既に伝えてあるとしている。

 譲位の儀式(=退位式)が「簡素」にということなら、皇太子の天皇即位式もバランスを崩さないことが、いわば秋篠宮が言っている「身の丈にあった儀式」が要求される。

 だが、安倍政権は天皇退位と皇太子即位関連の準備費用として35億6千万円を2018年度当初予算に計上した。このことは安倍晋三が戦前型の天皇主義者であることも関係しているに違いない。

 秋篠宮の疑義申し立てに似通っていることとして現天皇の即位後の平成の大嘗祭に関して憲法違反との訴訟が数多く起こされ、いずれも原告側の主張が退けられたが、1995年の大阪高裁判決では、「憲法違反の疑いは一概に否定できない」との指摘もなされたと2018年11月30日付「時事ドットコム」記事が伝えている。

 いわば一般国民の疑義が儀式関係者の一人である皇族からも示されたことになる。

 果たしてこの疑義は秋篠宮一人のものなのだろうか。極々常識的に言うと、自身の疑義を皇太子や天皇に指摘して、意見を聞くことを第一段階としないだろうか。即位の礼にしても大嘗祭にしても、直接の関係者は皇太子である。次期天皇である皇太子にしても現天皇にしても、象徴天皇制に拘って日本国憲法が規定している政教分離の原則に忠実であろうとしたら、勢い宗教色が強い儀式への国費充当に抵抗を感じないだろうか。

 実際にも現天皇は結婚50年の記者会見で「象徴とはどう在るべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています」と発言、「象徴」の在るべき姿を模索し、その姿に拘ってきた。

 言ってみれば、日本国憲法を背負っていた。安倍晋三のように明治の大日本帝国憲法に親近感を寄せてはいなかった。あくまでも推測に過ぎないが、天皇も皇太子も秋篠宮から疑義を打ち明けられたか、あるいは天皇が持っていた疑義であって、皇太子と秋篠宮に打ち開け、二人の賛意を得て、皇太子の疑義とした場合、影響が大きいことから、秋篠宮が天皇家の疑義を代弁し、記者会見を通して自分たちの疑義を国民に知らせたということもあり得る。

 秋篠宮一人の疑義とすることはできない推測しか浮かんでこない。天皇、皇太子、秋篠宮、更に天皇妃が共有している疑義に見えてくる。皇太子妃や秋篠宮妃も加わっているかもしれない。

 天皇家共有の疑義でなければ、「そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ,残念ながらそこを考えること(を宮内庁長官はしなかった),言ってみれば話を聞く耳を持たなかった」などと宮内庁長官に対して非難に近い強い言葉を吐く程にまで自身の内情を曝け出すだろうか。

 要するに秋篠宮は、あるいは天皇家は日本国憲法の政教分離の原則に則らなければならないと考え、則る必要上、皇太子の天皇即位式後の大嘗祭はより宗教色が強いゆえに国費から支出される国事行為としてではなく、そこから離れて「御手元金」(ポケットマネー)である内廷費から支出する皇室の行事として行うべきではないかと主張することになった。

 そうすることによって天皇家の誰もが日本国憲法の政教分離の原則に違反せず、違反しない姿勢を国民に示すことができる。

 ただ問題なのは秋篠宮は即位の礼に関しては国費充当の国事行為として行うことに疑義を示さなかったが、皇太子の天皇への即位式も大嘗祭も皇室が古くから伝統としてきた儀式に則って行われる点、疑義が生じる。特に日本国憲法下で天皇の地位が国民統合の象徴となりながら、戦前の専制天皇制時代からの伝統に添う儀式が執り行われて、国費を充当する両者間の矛盾である。

 大日本帝国憲法に於ける天皇の絶対性と断絶して戦後の日本国憲法で象徴天皇となりながら、天皇家の儀式は断絶せずに引き継ぐ。戦後の天皇は戦前天皇のように統治権を有しているわけでもないし、神聖不可侵の存在でもない。陸海軍の統帥者でもない。宣戦布告の権限を有しているわけでもない。にも関わらず、戦前からの伝統を引きずった即位式と大嘗祭を執り行い、国費を投入する。

 現天皇の「簡素」な儀式への望みは伝統から免れることができないながらも、その伝統から戦前の専制天皇制の影を限りなく払拭し、象徴天皇制と伝統を両立させるための最善の方法なのかも知れない。

 このように考えると、やはり秋篠宮の疑義は天皇家全体の疑義に見えてくる。

 安倍晋三は退位式や即位式、大嘗祭を用いて、新聞やテレビ、ネット等のマスメディアを通して天皇なる存在を国民に強く印象づけことが可能な演出を持たせたいと望んでいるはずだ。理由は戦前の天皇に対する戦前の日本国民がそうであったように今の国民に対しても天皇の存在を大きくするために。

 このような偉大化は天皇を国や国民の上に置くことによって完成するが、現憲法がタガとなって、それを阻んでいる。稲田朋美、その他が教育勅語を戦後教育の道徳の教科書にしたいと望んでいることも天皇の存在を大きくしたいことが理由の一つとなっているはずだ。

 天皇の存在を大きくしたいがために35億円超もの予算をつけた。あるいは国費で賄うことに意義を置いた。でなければ、安倍晋三自身が戦前回帰主義者であり、戦前型の天皇主義者であることと矛盾することになる。国の行事とすることから離れて、皇室の内廷費で賄う小規模の儀式となったなら、否応もなしに天皇家に於ける私的な行事に傾いた色彩を帯びることとなり、望んでいるとおりの天皇の偉大化は手に入れ難くなる。

 昭和天皇が戦前、日米開戦を望んでいなかったにも関わらず軍部に押されて日米開戦に踏み切ったように現天皇も安倍晋三の手による天皇の偉大化を望んでいないも関わらず、安倍晋三の巧妙な手に乗せられて偉大化されることを恐れているかもしれない。

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安倍晋三の福島復興:医師・看護師不足から見えてくるハコモノ先行に追いつかない復興に於ける政治の役目不足

2018-12-03 11:49:27 | 政治
                                     

 安倍晋三が2018年11月24日に被災地福島を訪問した。この被災地訪問は2018年8月2日の宮城県石巻市と東松島市以来だという。今回の訪問ではどのような立派な発言をしているのだろうか。

 「首相官邸Facebook」

 安倍晋三「産業・生業(なりわい)の復興なくして再生ない。ここ双葉町でも国の立地補助金を活用して未来に繋がる新たな企業立地が進んでいることを嬉しく思います。

 また富岡町ではですね、この春から救急医療のための医療施設が動き出しました。医療は生活の根幹です。住民のみなさんが安心して帰還して頂くためにも医療始め生活インフラの整備に国としても全力を上げていきたいと考えています。

 2020年にはオリンピック・パラリンピックが開催されます。日本が、福島が復興した姿を世界に発信していきたいと考えています。福島の復興なくして日本の再生なし。福島の復興が成し遂げられるその日まで国が前面に出て、全力を尽くして参ります」

 双葉町の国の立地補助金活用の新たな企業立地にしても、富岡町の救急医療のための医療施設にしてもハコモノに過ぎない。ハコモノが単なる構造物であることから免れるためには地域住民の生活を維持・向上させていくシステムの一部として十全に機能していかなければならない。

 安倍晋三が「富岡町ではですね、この春から救急医療のための医療施設が動き出しました」と言っている医療施設とは東京電力福島第1原発事故で休止した四つの拠点病院に代わって今年4月に開院したふたば医療センター附属病院のことだと、安倍晋三の福島訪問を同じく伝えている2018年11月24日付「上毛新聞」が紹介している。

 紹介しているだけではない。〈首相は救命救急用のヘリコプターを見学した後、院長らと意見交換した。医師や看護師の確保に苦労している現状を聞き「医療は住民の帰還になくてはならない重要なインフラだ」と述べ、国として支援していく考えを示した。〉との遣り取りを伝えている。

 ヘリコプターにしてもカネを出せば手に入るハコモノに過ぎない。ヘリコプターの運行に過不足ない医師・看護師の確保があって初めてハコモノでは終わらない救急医療用のヘリコプターとしての機能性を持ち得る。病院側がいくら救急医療優先を第一としていても、医師・看護師不足が如何なる場合に於いてもヘリコプターを用いた救急医療と救急搬送に影響を与えない保証はない。医師・看護師の確保こそが救急医療に関わらない、医療全般に於ける危機管理となる。

 しかも医師・看護婦共にカネを出せが集まるという代物でもない。カネに上限をつけなければならないからだ。

 ふたば医療センター附属病院は福島県立医科大から医師20人と看護師(何人か調べたが分からない)の派遣を受け、2018年4月に開院。自前確保の医師・看護婦も何人かはいるはずだが、安倍晋三がふたば医療センター附属病院を訪れたのは11月24日。約8ヶ月経過した時点でも医師や看護師の確保に苦労している。

 要するに病院をハコモノで終わらせないためには医療機能の役目を担って欠かすことのできない主たる存在である医師や看護師の確保は福島県や病院側の手に余っていた。と言うことは、病院はハコモノであることから完全には脱しきれていないことになる。

 安倍晋三が機会あるごとに「福島の復興なくして日本の再生なし」とご託宣してきている以上、医師不足・看護師不足のこの情報は政府側が早くからキャッチし、共有していなければならない政治の役目となる。

 だが、キャッチも共有もしていなかった。政治の役目不足以外の何ものでもないが、例えキャッチし、共有していたとしても、不足状況を解消できていないのだから、政治の役目不足であることに変わりはないことになるが、それを棚に上げて、「医療は生活の根幹です」と正論で遣り過ごす。

 あるいはこれまで国が前面に出て医師と看護師の確保に全力を尽くしていなかったことになるにも関わらず、こういったことへの政治の役目不足には触れないままに「住民のみなさんが安心して帰還して頂くためにも医療始め生活インフラの整備に国としても全力を上げていきたいと考えています」と、今後の復興の一つの課題で片付けることができる。

 見えてくるのは福島復興でのハコモノの先行に追いつかない政治の役目不足のみである。

 2011年の東日本大震災の際、被害が広範囲に亘ったことから被災地の自治体自体が満足に機能せず、各避難所での必要な物資や数量の十分な把握と主としてこのことが原因した被災者への物資の確実な搬送とが混乱したことへの反省に立って、2016年4月の熊本地震と2018年7月の西日本豪雨では政府は避難所に避難した被災者に被災した自治体からの要請を待たずに必要不可欠と見込まれる物資を独自に調達・緊急輸送するプッシュ型支援を行って被災者の要望に応え、政府の成果の一つとした。

 だが、食料や飲料水、トイレットペーパー、衣類、石鹸等々はどこで生活しようと必要不可欠とする生活必需品であり、被災地以外から調達可能であるゆえに避難所で物余りが起きない以上、他の場所に存在する物を手配して届けるだけのことだから、誰がプッシュ型支援を行おうと間違えることはない支援方法であろう。だが、医師・看護師はモノとは違って給与を選ぶ・場所を選ぶ。当然、そのような人間相手に対する政治の役目はより困難となり、より重要となる。

 そしてふたば医療センター附属病院の医師不足・看護師不足は前々から言われていて、現在も言われ続けている医師・看護師の都市勤務集中・地方勤務忌避も影響している状況でもあるはずだ。

 いわば福島富岡のふたばに限らず、全国的に見ても、病院というインフラを埋めるためのより重要な政治の役目を安倍晋三は果たし得ていない。言葉巧みな立派な発言に誤魔化されてはいけない。

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