2018年9月19日、自民党総裁選最終日となった。安倍晋三は秋葉原で午後5時半頃からJR秋葉原駅前で最後の街頭演説を行ったとマスコミは伝えている。石破茂は渋谷駅駅前で竹下総務会長らと街頭演説を行ったという。総裁選の趨勢は安倍晋三が国会議員票(405票)の7割超(280票程度)を獲得する勢いであり、党員は議員の支持態度を一定程度反映する関係にあることからだろう、その票は過半数を超え、6割は獲得し、3選間違いなしの見立てがマスコミでは一般的となっている。
安倍晋三は勝利すればいいという態度ではなく、2019年の参院選挙のためにも貪欲にも1票でも多く上積みして、その票を以って国民に対して自身への求心力の現れとして誇示したいようだ。但しこの欲張った姿勢は普段口にしている「謙虚に政権運営に当たる」としている言葉に反している。
なぜなら、自民党総裁選でいくら多くの票を獲得しようと、安倍晋三自身の偉さに比例するとは限らないからだ。票の増減は政治的な駆け引きによっても影響を受けるし、馬の鼻の先にぶら下げた人事に関わるニンジン効果の実現性にも影響を受ける。当選は間違いないだろうからと、勝ち馬に乗る便乗傾向が1票の利害を決する場合もある。
もしこういった政策のみで勝負するのではなく、その裏側で政策以外の駆け引きで票獲得の動きに出ているとしたら、公共のルールに則らない、個人的ルールに従わせた選挙の私物化に相当することになる。
安倍晋三の9月19日の自民党総裁選最終日の秋葉原での演説の模様を2018年9月19日付「時事ドットコム」記事が、「安倍辞めろ」コールで騒然=秋葉原の首相演説会場-自民総裁選」と題して伝えている。
安倍陣営は演説会場としたJR秋葉原駅前ロータリー周辺を柵で囲い、内側には参加許可を示すシールを貼った党員だけが入れるようにした。その演説を伝えている動画を見ると、腰高の移動式鉄柵を繋げて屋根に上ってマイクを握ることができるワンボックスの選挙カーを遠巻きに囲ったようだ。
要するに参加許可を示すシールを貼った党員だけが柵の内側に陣取ることができ、党員以外の聴衆は柵の外へと追いやられることになった。
JR秋葉原駅前ロータリーを演説の場として使用許可を取ったとしても、演説会場が公共の建物内で入場を党員のみに限る場合なら許されるが、JR秋葉原駅前ロータリーは公共の場であって、そのような公共の場で党員と党員以外の立ち位置を別々に制限を加えることは公共のルールに則らない、個人的ルールに従わせた選挙の私物化であって、果たして許されるだろうか。
また、一国の首相の演説は、それが自由民主党の総裁選向けの演説であっても、入場制限を加えた建物以外の公共の場では党員と党員以外との区別なしに誰もが自由に聴く資格を持ち、自由に評価も批判もできる公共の情報である。
にも関わらず、公共の情報に対して聴く場所を党員と党員以外では別々の場所とする制限を加えたことは、やはり公共のルールに則らない、個人的ルールに従わせた選挙の私物化でなくて何であろうか。
記事は柵の外からしか演説を聴くことができなかった党員以外によって、一部なのだろう、〈「安倍内閣は退陣を」「独裁やめろ」などと書かれたプラカードも林立し、陣営関係者がのぼり旗でこれを隠そうとするつばぜり合いも見られた。〉と解説、その中から「安倍辞めろ」コールが起こり、騒然としたと、その雰囲気を伝えている。
こういったことを予想して参加許可を示すシールを貼った党員だけを選挙カーを遠巻きに囲った柵の内側に入れたのだろうし、「安倍辞めろ」コールは演説という公共の情報に対する妨害――公共のルールに則らない、演説に対する個人的ルールに従わせた私物化であって、それを少しでも防ぐために柵を設けて、党員と党員以外の聴く場所を区別したと言うかもしれないが、「安倍内閣は退陣を」、「独裁やめろ」などと書いたプラカードを林立させるのも、「安倍辞めろ」コールにしても、抗議として許されている公共の場での公共の情報であって、それにどのような制限を加えることも公共のルールに則らない、個人的ルールに従わせた抗議活動制限の私物化に当たる。
このように安倍陣営が個人的ルールに従わせようとする私物化の精神を自らの血肉としているから、自民党最大派閥で安倍晋三出身母体、安倍晋三の自民党内最大支持基盤である細田派(94人)が派所属議員に対して9月の党総裁選では「全力を尽くして応援するとともに、必ず支持することを誓約する」などと書いた誓約書に署名させ、内心の自由への侵害に当たるにも関わらず、自由であるべき投票行動に制限を加える個人的ルールによる選挙の私物化が横行することになったのだろう。
あるいは農水相の斎藤健に対して「安倍内閣に所属していながら、石破茂を支持するなら、辞表を書いてからやれ」と、自由であるべき政治活動に強要という名の制限を加えるような個人的ルールによる政治活動の私物化がのさばることになったはずだ。
誓約書に対する署名も、斎藤健に対する辞表強要も安倍晋三を総裁として、あるいは首相として絶対視しているからこそ血肉とすることになった個人的ルールによる総裁選の私物化であって、この絶対信仰の対象者は周囲の絶対視を受けて、往々にして自己の絶対化に走り、独裁権力者がそうであるように自身を絶対とすることによって権力の私物化を属性とする傾向にある。
自民党内と政権内に於ける安倍一強が安倍晋三をして強引な政権運営に走らせているが、総裁選で国会議員の7割までもが支持に回る傾向にしても対安倍絶対信仰からの安倍一強を物語っていて、この一強が森友・加計問題での権力の私物化そのもの、あるいは権力の私物化紛いのことを許すことになっている。
当然、対安倍絶対信仰をベースとした安倍陣営の個人的ルールによる総裁選の私物化は安倍晋三の権力の私物化傾向と相互対応した精神とすることができる。いわば安倍晋三の権力の私物化傾向を受けた安倍陣営の個人的ルールによる総裁選の私物化という関係を取っていることになる。
安倍晋三自身が権力の私物化を自らの精神に些かも巣食わせていなかったら、いわば何事に対しても常に謙虚な姿勢でいたなら、取り巻きが総裁選の私物化に走ることは決してない。取り巻きにしても安倍晋三の謙虚な姿勢を見習う。見習ったのは安倍晋三の権力の私物化傾向と相互対応させた総裁選の私物化であった。
2018年9月20日付「NHK NEWS WEB」記事が、総裁選で誰を支持するか明らかにしてこなかった小泉進次郎が石破茂に投票する意向であることを周辺に明らかにしたと伝えている。
当該記事は小泉進次郎が総裁選で誰を支持するか明らかにしてこなかった理由を自らの態度表明が選挙の情勢に影響を与えるのは本意でないとしてのことだと解説している。
関係者の話として小泉進次郎の発言を伝えている。
小泉進次郎「政権に対する苦言も厭わない存在が党内には必要だ。日本の発展は、人と違うことを強みに変えられるかどうかにかかっている。自民党は、異なる意見を抑えつけるのではなく、尊重する党にならなければいけない」
小泉進次郎が「自民党は、異なる意見を抑えつけるのではなく、尊重する党にならなければいけない」と言っていることは、安倍晋三総裁のもとにある、あるいは安倍首相のもとにある現実の自民党は逆の状況にあることの形容となる。自民党のこのような状況も対安倍絶対信仰からの安倍晋三と取り巻き相互の自己の絶対化を受けた権力の私物化が原因となっているはずだ。
但し小泉進次郎が「異なる意見を抑えつけるのではなく、尊重する」精神を党内にもたらす人物が次の総裁に相応しいとして石破茂に投票する意向であり、安倍晋三をこのような人物像に反するとして総裁として自らの意中外に置くなら、自身の精神、あるいは希望を早くから表明して、石破茂支持を打ち出すことで、その精神、希望を石破茂の獲得票に少しでも多く変えて自民党に影響を与えるべく努力すべきだったが、そうはせずに自らの態度表明が選挙の情勢に影響を与えるのは本意でないからと言って総裁選直前まで支持を明らかにしなかったのは総裁選を個人的な問題としてのみ扱ってきたことになって、安倍晋三と同様の総裁選の私物化に当たるはずだ。
尤も小泉進次郎の総裁選の私物化は安倍晋三の総裁選の私物化よりもずっとタチがいい。安倍晋三の方のタチの悪さは最悪と言うことができる。