横審委員長北村正任の白鵬取り口苦言 他の処分に便乗した正当性あるが如くの批判は卑怯者のすること

2017-12-22 10:11:01 | 事件

 日本相撲協会理事長(八角親方)の諮問機関である横綱審議委員会の臨時会議が12月20日(2017年)開催されて暴力事件を起こした日馬富士に対して引退勧告、その場に居合わせながら暴力を停めることができなかったとして横綱白鵬と鶴竜に対してはそれぞれ減給の懲戒処分を下した。

 このことは横綱日馬富士と白鵬と鶴竜それぞれの立場上の責任不履行と彼らの責任不履行に対する横綱審議委員会の処分に関わる判断の提示という経緯を取っていて、処分の提示によって一つの決着を成立させていることになる。

 つまり日本相撲協会及び横綱審議委員会側からすると、一部世間も加わって問題としたのは暴力事件に関わる横綱日馬富士と白鵬と鶴竜それぞれの態度であり、どう処分するかの処分内容であった。

 当然、横綱審議委員会の処分内容の妥当性が日本相撲協会にとっても世間にとっても問題となる。

 それ以外を問題としたわけでもないし、問題となったわけでもない。そしてこの問題は処分発表で一つの決着を見た。

 ところが、処分発表の記者会見の中で横綱審議委員会委員長の北村正任(東大法学部卒・新聞記者出身76歳)が白鵬の取り口に苦言を呈したとマスコミが伝えていた。

 会見からその発言を抜粋してみる。「横審会見全文」日刊スポーツ/2017年12月20日12時39分)   

 北村正任「(貴乃花親方の暴力事件以後の言動に一言物申してから)「それから、もう1つは、この間(かん)に委員会宛てに、あるいは私個人宛てに、相当の量の投書があります。

 その投書の大部分は、白鵬の取り口についての批判でありました。張り手、かち上げ…これが15日間のうちの10日以上もあるというような、このような取り口は横綱のものとは到底、言えないだろう、美しくない、見たくないという意見でした。

 このことは横審のメンバーがいろいろな会合などで相撲の話をするときに、ほとんどの人がそう言っているということでありました。白鵬自身の自覚をうながすか…こういうことであろうと思いますが、そのことに向けて協会としても、工夫、努力してほしいと。こういう話がありました」

 白鵬の取り口は暴力事件及びその処分とは全く関係のない別個の問題であって、そうである以上、張り手その他が「横綱のものとは到底、言えない」と言うことなら、別の機会に横綱審議委員会で議論し、横綱らしくないで纏まった場合、横綱審議委員会の正式な意見として日本相撲協会理事長に提出、日本相撲協会が横綱審議委員会からこのような意見の提出があり、日本相撲協会にしても同意見で賛成多数になったからと白鵬に自覚なりを促すべきだろう。

 あるいは今後のことまで考えて白鵬個人の問題とせずに横綱になった場合は張り手等の横綱らしくない手は禁止すると取り決める、あるいは横綱になる前に癖がついてしまうと横綱になってから注意していてもつい使ってしまうということがあるから、相撲の手から外す等の正式の取り決めを行ってから、いずれかの方法を発表すべき問題であろう。

 正式な決定にまで持っていかずに単に「相当の量の投書」があった、横審のメンバーの「ほとんどの人がそう言っている」からと、「横綱のものとは到底、言えない」を正式に決められた意見であるかのように持ち出して暴力事件とは無関係・別個の問題を暴力事件処分の記者会見で公表する形で批判する。

 この筋違いは甚だしい。

 大体が記者会見の場で一つの決着が付いた自分たちが正当とした処分のその正当性に便乗して処分とは関係のない事柄までさも正当性あるかのようにここぞとばかりに批判するのは卑怯者のすることである。

 別個の問題は別個として区別するだけの合理的な目を持ち合わせていないから、暴力事件をあってはならない事態だ、暴力の根絶だと表面的な指摘に終わるのみで、暴力の根がどこにあるのか見通すことができない。

 学校の部活動同様に大相撲でも力士の先輩・後輩の上下関係が上を絶対とし、下を上の絶対に対する従属を絶対と位置づけている権威主義にこそ目をつけて、それを正していかなければ暴力の根絶は難しいのだが、その構図に目を向けることさえできない。

 先輩後輩の関係は別にして、後輩が先輩に対してざっくばらんに自分の考えを言い、先輩がそれに応えてざっくばらんに自分の考えを言う権威主義とは正反対の対等な双方向の関係を築くことができれば、双方がそれぞれの態度・考えが正しいか間違っているか議論することになって、先輩の後輩に対する“指導”という一方的な形を取らずに済むばかりか、議論の習慣が双方の判断能力の向上と常識の発達を促していくことになって、そのことが人間としての成長を双方共に自ずともたらしていくことになる。

 だが、先輩は後輩に対して絶対者として君臨しているから、先輩を不愉快にする後輩のちょっとした態度や言葉遣いに侮辱されたと受け止めて腹を立て、後輩に対して先輩が許されている“指導”という形で手を出して、受けた不愉快を晴らそうとすることになる。

 後輩の先輩に対する敬意は必要だが、敬意が絶対と従属の上下関係と表裏の構図を取ることは許されない。

 先輩と後輩の間でこのような関係を築くことができていない大相撲界は時代遅れの世界にとどまっていると言わざるを得ないばかりか、現在もこのような世界を放置している親方衆や横綱審議委員会の怠慢は大きなものがある。

 北村正任は白鵬の張り手、かち上げの取り口を「横綱のものとは到底、言えない」と批判しているが、白鵬は言ってみれば、強い外国人横綱として日本人力士全員を敵に回して戦い、強さの点で彼らの上に君臨している。

 だが、敵に回されている日本人力士全員のうち誰一人として白鵬の強さを凌ぐ者が出てこない。日本人力士が寄ってたかって戦いを挑みながら、君臨を打ち破ることができない。

 その原因を白鵬の張り手やかち上げに置くとしたら、格闘技の一種であることに変わりはない大相撲の正当性を見い出すことができるだろうか。

 横綱らしくない取り口だと言う前に白鵬の張り手やかち上げを勝負に効果のない取り口とすることが先決ではないのか。効果がなければ、白鵬は自ずと使わないようになる。

 それができないのは日本人力士が不甲斐ないからではないのか。当然、日本人力士の不甲斐なさを批判せずに白鵬の取り口のみを批判するのは不公平ということになる。

 問題点を問題としない横綱暴力事件の処分、暴力事件とは別の問題である上に問題点に目を向けない白鵬の取り口だけを批判する横綱審議委員会委員やそれらを黙って受容する日本相撲協会の親方衆の意識の変革が先決問題ということになる。
 

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