高市早苗ら閣僚の靖国参拝は「村山談話」を「安倍内閣として全体として引き継ぐ」とする姿勢と矛盾するのか

2015-08-17 07:54:45 | 政治


 ――勿論、安倍晋三のかつての参拝や真榊奉納にも同じことを言うことができる。――

 8月15日、閣僚右翼三羽ガラスが靖国神社を参拝した。総務相の高市早苗、国家公安委員長の山谷えり子、女性活躍担当相の有村治子の3人。

 「じゃあ、ご一緒しましょう」と雁首揃えて3人一緒に参拝することなどしない。「3人揃って」と大々的に報道されかねないからだ。マスコミの方も、「待ってました」とばかりに取り囲むことになるだろう。

 高市早苗と有村治子は午前、山谷えり子は午後だそうだ。

 安倍晋三は「女性の活躍」を掲げているが、そのスローガンに恥じることなく第2次安倍内閣では松島みどりと小渕優子は辞任理由の政治資金の不明朗な使い道で活躍し、右翼三羽ガラスは参拝で活躍する。

 特に高市早苗と自民党政調会長の稲田朋美は安倍晋三の申し子みたいなもので、右翼の血をしっかりと受け継いでいる。

 3人共記者に取り囲まれて、それぞれ参拝の理由を述べている。

 高市早苗「国策に殉じて、かけがえのない命を捧げられた方々に、尊崇の念を持って感謝の誠を捧げてきた。公務死された方々をどのように慰霊をし、お祀りをするかというのは、それぞれの国の国民の問題だと思っている。外交問題になるべき事柄ではないと思う」

 山谷えり子「国のために尊い命をささげられたご英霊に感謝の誠をささげ、平和な国づくりをお誓いしてきた。戦後70年、なお一層、国の平和と繁栄、そして、世界平和のために働いてまいりたいと思う」

 有村治子「戦後、遺族の方々が、塗炭の苦しみを乗り越えて生きてきた歩みにも、思いをはせて、これからの日本の、あるいは、世界の平和と安全のために、努力が引き続きできるようにという思いで参拝した」(以上NHK NEWS WEB

 高市早苗は「国策に殉じて、かけがえのない命を捧げられた」と言っている。

 つまり日本の戦前の「国策」――国家の戦争行為を正しいものだったと価値づけている。

 「殉ずる」の言葉の意味は「任務や信念などのために命を投げ出す」ことを言う。もし誤った国策だとしていたら、靖国の戦死者は誤った国策に従って、かけがえのない命を国家のために投げ出した」と言うことになり、戦死者の行為自体が誤った選択となり、奇妙な矛盾を生じさせることになる。

 正しい国策とすることのみによって、戦死を“殉ずる”行為と意義づけることができる。

 高市早苗は戦前の日本の戦争を正しい戦争だと歴史認識し、その戦争を戦って命を落とした兵士を国へ命を捧げたのだと称賛している。

 だからこそ、自身を国家の立場に立たせて兵士を下に置き、「尊崇の念を持って感謝の誠を捧げ」ることができる。

 他の2閣僚にしても、参拝理由は違っていても、正しい日本の戦争・正しい国策と位置づけているからこそ、戦死者の霊に慎んで恭しく頭を下げることができる。安倍晋三にしても参拝せずに真榊奉納に代えたとしても同じである。

 問題はこのような歴史認識と「村山談話」との整合性である。戦後50年の「村山談話」は、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と日本の戦争を“誤った国策”だと位置づけ、植民地支配を目的とした侵略戦争だと歴史認識している。

 そして安倍晋三は「安倍内閣として村山談話を全体として引き継いでいく」という姿勢を取っている。

 日本の戦争を“誤った国策”だと位置づけ、植民地支配を目的とした侵略戦争だと歴史認識した「村山談話」を「安倍内閣として全体として引き継いでいく」としながら、閣僚たちが靖国神社参拝を通して、あるいは安倍晋三自身がかつての参拝や真榊奉納によって正しい国策・正しい戦争だったとする歴史認識を露わにすることはまさに「村山談話」の歴史認識と矛盾し、この点に関しては「引き継いでいく」をウソの宣言としていることになる。 

 尤も言葉の厳密な意味では「全体として引き継いでいく」とは、一つ一つの全て、あるいは細かいところまで引き継ぐという意味ではないから、「村山談話」が日本の戦争を“誤った国策”、“植民地支配”、“侵略”としている歴史認識は引き継いでいないとすることもでき、靖国参拝や真榊奉納で日本の戦争を正しい国策・正しい戦争だったとする歴史認識を露わにしたとしても何ら矛盾しないし、整合性も問題ないことになる。

 但し、「村山談話を全体として引き継ぐ」などと曖昧なことは言わずに、「村山談話」のどの歴史認識を引き継ぐのか、引き継がないのか、国民に説明して明らかにすべきだろう。

 この説明を安倍内閣として果たして、内閣全体の歴史認識を堂々と掲げてから、閣僚たちを含めて靖国神社を参拝するなり、真榊を奉納するなりすべきだろう。

 だが、その説明を依然として果たすつもりはないようだ。“依然として”と書いたのは、前々から、今後共という意味である。

 8月14日の「70年談話」発表後の記者会見質疑。

 関口東京新聞記者「東京新聞の関口と申します。

 総理は、2009年ですが、月刊誌の対談で村山談話について、『村山談話以降、政権が代わるたびにその継承を迫られるようになる。まさに踏み絵です。村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはない』と述べておられます。これらの発言と今回の談話の整合性について、分かりやすく説明してください」

 安倍晋三「村山談話につきましては、これまでも全体として引き継ぐと繰り返し申し上げてきたとおりであります。同時に私は、政治は歴史に対し謙虚であるべきであるとも申し上げてきました。その信念のもと、今回の談話の作成に当たっては、21世紀構想懇談会を開き、学者、歴史家をはじめ、有識者の皆さんにお集まりをいただき、20世紀の世界と日本の歩みをどう捉えるか、大きく世界と時代を超えて俯瞰しながら御議論をいただきました。視座や考え方の異なる有識者の皆さんが、最終的に一定の認識を共有できました。

 私はこの21世紀構想懇談会の報告書を歴史の声として受けとめたいと思います。そして、その報告書の上に立って、先の大戦への道のり、20世紀という時代を振り返りながら、その教訓を胸に刻んで、日本がどのような国をつくり上げていくべきか。戦後70年の大きな節目に当たって談話として取りまとめたものであります。

 その上で、これからも果たして聞き漏らした声があるのではないか。ほかにもあるのではないかと常に謙虚に歴史の声に耳を傾け、未来への知恵を学んでいく。そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています」――

 いつも使う手だが、都合の悪い質問に対しては正直に真正面から答えていない。

 これまでも「村山談話』否定・「河野談話」否定の発言を繰返してきた。

 「自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない。これは大きいですよ」(2012年12月26日産経新聞インタビュー)

 「河野洋平長官談話によって強制的に軍が家に入り込み女性を人浚いのように連れていって慰安婦にしたとという不名誉を日本は背負っている。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」(2012年9月12日の自民党総裁選挙立候補表明演説)

 談話後の記者会見での答弁だけを見ても、「村山談話」のどの歴史認識を引き継ぐのか、引き継がないのか、国民に何ら説明せずに曖昧にしたまま、「村山談話」を「安倍内閣として全体として引き継ぐ」とする姿勢を公の姿勢として、「村山談話」とは異なる歴史認識を露わにすることになる靖国参拝や真榊奉納を行ったとしても、彼らの精神の中では如何なる矛盾もないようだ。


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