安倍晋三と菅官房長官の韓国大統領の安重根石碑建立不快感は安倍内閣の歴史認識を違える小狡い精神性の発揮

2013-11-21 08:28:27 | 政治



      生活の党PR

      《2012年衆院選の「一票の較差」訴訟の最高裁判決を受けて・小沢生活の党代表談話》

 11月18日、朴槿恵(パク・クネ)大統領が韓国訪問中の楊中国国務委員(外交担当)とソウルで会談、初代韓国統監を務めた伊藤博文殺害の安重根を讃える石碑を殺害現場の中国・ハルビン駅に建立する計画の良好な進捗に謝意を示したとマスコミが伝えている。

 【安重根】(日本語読み/アン・ジュウコン)「1879年7月16日~1910年3月26日。李氏朝鮮末期の独立運動家。1905年(明治38)の第二次日韓協約で韓国が日本の保護国になったことに憤慨し、義兵運動に参加した。のちウラジオストクに亡命し、抗日独立運動を展開、韓国の道徳立国を主張し、日本の背信を避難した。1909年10月26日、ハルピン駅で前統監伊藤博文を暗殺、翌年旅順監獄で死刑に処せられた。韓国の国家的英雄。」(『日本史広辞典』山川出版社)

 この石碑建立の謝意に関わる朴槿恵韓国大統領の動向に我が日本の右翼の軍国主義者である安倍内閣・菅官房長官が不快感を示したという。

 菅官房長官「日韓関係のためにならない。我が国は韓国政府に対して、『アン・ジュングン(安重根)は犯罪者である』とこれまでも伝えている。そうしたなかでこのような動きがあることは、日韓関係のためにはならないのではないか」(NHK NEWS WEB/2013年11月19日 11時39分)

 しかしこの発言は安倍内閣の一員として矛盾している。なぜなら安倍晋三の歴史認識に従わなければ、歴史認識に於いて内閣不一致をきたすからだ。

 4月23日(2013年)の参院予算委。

 安倍晋三「侵略という定義は国際的にも定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」(MSN産経) 

 侵略の定義は現在では1974年12月14日の国際連合総会第29回総会採択の「侵略の定義に関する決議」によって国際的に定まっている。

  侵略とは〈国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう。〉(Wikipedia

 安倍晋三は戦前は定まっていなかったと言うかもしれないが、事実そのとおりであり、また国連が侵略をどう定義しようとも、「国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」という立場上の認識の違いは否応もなしに生じる。

 戦争行為を受けた国は「侵略だ」と言い、戦争行為を仕掛けた側は「侵略ではない」とする立場の違いに応じた自己正当性の違いは往々にして必然的とするだろうからである。

 問題は一国のリーダーがどのような歴史認識に立っているかが問題なのであって、安倍晋三は「侵略という定義は国際的にも定まっていない」とすることによって自身の戦前の日本の戦争を侵略戦争と見ていない歴史認識をゴマカシているに過ぎない。

 だが、「国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」という歴史認識に立っている以上、安重根に関しても、「国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」という認識を当たり前としなければならない。

 いわば韓国が安重根を国民的英雄とすることを韓国側の当然の評価と認め、犯罪者だとすることを日本側の当然の評価だと主張する、相互の認識の違いを相互に冷静に受け止めて、評価の併立を図らなければならないはずだ。

 尤も韓国側にしても、日本側にしても、一般的な評価に従わない人間も存在するだろうが。

 それを「アン・ジュングン(安重根)は犯罪者である」からと日本側の評価を以って韓国側の評価としてある安重根の、その功績を讃える石碑建立に不快感を示すことは公言している歴史認識を自ら否定する、自己都合で認識を変える小狡い精神性の現れと言わざるを得ない。

 朴槿恵韓国大統領は今年の6月に訪中して習近平国家主席と首脳会談を行った際に安重根の石碑建立の協力を要請したということだが、この協力要請に対して我が日本の安倍晋三も7月5日夜のBSフジの番組で、自らの歴史認識を自ら裏切る小狡い精神性を発揮した批判を行っている。
 
 安倍晋三「(伊藤博文は)尊敬されている偉大な人物だ。それはお互いにしっかりと尊重し合うべきだろう」(時事ドットコム/2013/07/05-21:29)

 要するに安重根称揚の石碑建立は「尊敬されている偉大な人物」である伊藤博文に対する評価否定に当たるから、韓国も「尊敬されている偉大な人物」として伊藤博文を「お互い位にしっかりと尊重し合うべきだろう」と、自らの歴史認識を時と場合に応じて都合よく変え、自身の考えに利益になることだけを口にする手前勝手な論理を展開している。

 右翼の安倍晋三にしても、その子分の菅官房長官にしても、何と自己都合主義な政治家なのだろうか。


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