蓮舫の問題点がどこにあるのか、辞任記者会見から「攻めと受け」をキーワードにない頭で考察してみる

2017-07-28 12:18:44 | 政治

 離党者続出、党勢低迷、そこへきて2017年7月2日執行の都議選では国政では野党第一党ながら、全127議席中7議席から5議席を占めるのみとなった惨憺たる議席数を受けて民進党代表の蓮舫の進退が話題にのぼった。

 民進党幹事長で民主党政権崩壊の戦犯の一人野田佳彦は7月25日の執行役員会で都議選敗北や党勢低迷の責任を取り辞任の意向を示し、執行役員会はこれを了承した。野田氏はその後の両院議員懇談会でも同様の考えを示したという。
 
 一方の蓮舫は同両院議員懇談会で「しっかりと勝てる組織に皆さんの力を貰い、もう1回立ち上がっていきたい」と続投の考えを伝えたという。

 離党者続出も党勢低迷も都議選敗北も一番の責任は代表である蓮舫にあるはずなのだが、その責任を幹事長辞任で誤魔化す、誤魔化すと言って悪ければ、遣り過して、自身の責任はスルーする。

 どうかと思っていたら、7月27日になって周囲に辞意を漏らし、午後に記者会見を開いて辞任を表明した。マスコミは代わりの幹事長の引受け手がないといったことを伝えていた。事実そうなら、幹事長人事に行き詰まっての辞任と言うことになる。

 蓮舫泥舟への乗組員のなり手を探したが、今更なり手になりたいと思う議員は誰もいなかったと言うことなのだろうが、大いに納得がいく。

 記者会見の発言は「産経ニュース」によった。

 蓮舫は党勢低迷について、「どうすれば遠心力を求心力に変えることができるのか。力強く、私たちがしっかりと皆さんに託していただける民進党であれ、と国民の皆様方に思っていただけるのか。そのとき、やっぱり考えたのは、人事ではなくて、私自身をもう一度見つめ直さなければいけないと思いました」と、辞任の理由に触れている。

 だが、代表が辞任して、執行部そのものを代えることも、広い意味での「人事」に当たる。代表はそのままで党執行部の他の役員を代える人事で遣り過すことができなかったことからの辞任が実態であって、それを党勢回復は(=国民の皆様方に思っていただけるのは)「人事ではなくて、私自身をもう一度見つめ直さなければいけないと思いました」と、女優か歌手が一時休業して、充電期間を設けるようなことを言う。

 綺麗事もいいとこで、相変わらず小賢しさしか浮かんでこない。

 その一方で、「えこひいきとか、不平等とか、行政が歪められたとか、途中経過が見えないような政治は絶対許してはいけない。この部分は、我々の仲間が衆参合わせて、しっかり提起してきた。

 それに対して、国民の皆様方にも『それはそうだ』という共鳴の思いが生まれたと思っています」と代表としての一部成果を請け合っている。

 国民のこの「共鳴の思い」が党勢回復という結果に反映されたとでも言うのだろうか。反映されていたなら、都議選に現有議席以上の議席を獲得できただろうし、そうすれば、幹事長の辞任騒ぎも代表の辞任騒ぎも起こることはない。

 どうも現実に則さない一連の発言となっている。

 蓮舫「ただ一方で、攻めと受け。この受けの部分に私は力を十分に出せませんでした。率直に認め、今回私が手を着けるのは人事ではない。いったん引いて、より強い『受け』になる民進党を新たな執行部に率いてもらう。これが最善の策だ。民進党のためでもない。私のためでもない。国家の民主主義のために、国民の選択肢の先である二大政党制の民進党として、それをつくり直すことが国民のためになるという判断だと、ぜひご理解をいただきたいと思います」

 ここで言っている「攻め」とは単に与党の政策の欠陥や不正行為を突く活動のことだけではなく、創造的な政策を積極的に纏め上げて、その政策をして広くより多くの国民に自分たちの利益になると受け入れさせる、そのような結果を伴わせることのできる積極的な活動を言うはずであり、より重視していなければならない。

 ところが蓮舫は「この受けの部分に私は力を十分に出せませんでした」と言って、さも「攻め」の部分では力を発揮していたかのように言っている。

 蓮舫は少し後で自身の「足らざる部分」を、「政党は多様な声を持った議員が、しっかりとその声を1つにまとめて、思いを1つに動いていく。その部分で統率する力が私に不足していたという判断です」と自身の統率力不足を挙げている。

 いわば統率力とは単に執行部や党を纏め上げる能力を言うのではなく、自らのリーダーシップによって執行部及び党と諮って国民の利益となる創造的な政策を構築し、国民に歓迎される経緯を持たせた、政党としての真っ当な結果に導くことで執行部と党を纏め上げていく能力を言うはずだ。

 当然、統率力不足と言うことなら、「攻め」の部分でも力を発揮しようがない。その結果としての党勢低迷であり、諸々の閉塞状況であるはずだ。

 にも関わらず、統率力を至って必要とする「攻め」の部分で力を発揮したかのように言う、この認識能力は代表としての能力不足をも現して余りある。
 
 また蓮舫は「より強い『受け』になる民進党を新たな執行部に率いてもらう」と言って、民進党という組織を指して「受け」と表現して、「執行部に率いてもらう」上下関係に置いている。

 要するに統率力がなくて、民進党を満足に率いることができなかったということを言っている。

 執行部に属していないと言えども、執行部に単に率いられる関係にあるのではなく、執行部のリードと相互反応し合って優れた政策を生み出す刺激剤の役目を果たしたり、国民に影響を与える共同作業を担う立場にある以上、統率力云々の問題である以上に蓮舫のこの上下関係視に問題があるはずだ。

 大体が「新たな執行部に率いてもらう」民進党とは何を意味するというのだろうか。支持者にしてもそんな民進党は要らないはずだ。執行部に対しても活動する、国民に対しても活動する、政府の政策に対しては戦いを挑む民進党であるはずである。執行部だけでできることではない。

 蓮舫の執行部の立場から民進党を下に見る上下関係視からすると、代表を辞任して新執行部に任せることを「民進党のためでもない。私のためでもない。国家の民主主義のために」と言っていることは代表として大したことを成し遂げることができなかった結末を誤魔化す綺麗事に過ぎないことになる。

 記者「次の執行部でどういう部分を打ち出していけば民進党が強い受け皿になるか」

 蓮舫「一言で短く答えられる質問ではないと思いますが、やっぱり野党というのは攻めには強い。だけど、受けをしっかり主張、発信して、広く浸透させるには手段が限られています。

 しかし、浸透させる部分の中身は十分、海江田(万里)元代表や岡田(克也)前代表が作ってきてくださった。それを私も1つの形としてまとめる、途中経過は作り上げてきたと思っています。その結実をしっかりと広く国民に伝え、浸透できる執行部でいてほしいと思います」

 どうも蓮舫は「攻め」ということを与党議員の不祥事や失言、何らかの隠蔽工作と言った相手のエラーに乗じて四方八方から追及することだと極く狭く解釈しているようだ。安倍与党に選挙で立て続けに大敗して、与党一強を許していることからすると、とても「野党というのは攻めには強い」とは口が裂けても言えないだろう。

 この合理的判断能力の狭さから見ても、代表失格だったことが分かる。

 ここで言っている「受け」とは民進党の存在感を意味させているはずだ。その存在感は主として国民に受け入れられる政策を構築する能力によって表現される。

 確かに政策を構築し、遂行していく力は政権が握っていて、頭数で勝っている与党が有利な状況にある。結果、存在感を「しっかり主張、発信して、広く浸透させるには手段が限られて」いるということになる。

 だとしても、「受け」を「浸透させる部分の中身は十分、海江田(万里)元代表や岡田(克也)前代表が作ってきてくださった。それを私も1つの形としてまとめる、途中経過は作り上げてきたと思っています」と、岡田代表時よりも政党支持率を下げて、存在感を示すことができなかったにも関わらず政党支持率と極めて相関関係にある民進党の存在感を示すことができたかのように平気で言っている。

 この現実離れはどう解釈したらいいのだろうか。

 蓮舫は「民進党として、今の行政を歪めたかのような安倍晋三内閣の受け皿になるための力が私には足りていなかった」と自らの力量の不足を素直に認めて反省する一方で、党勢低迷の結果を素直に見ずに「とにかく私は自分の持ち得る力、そして自分がなし得る力、全力は傾けてきました」と、部分部分で自己を正当化する合理性を欠いた発言を平気で口にしている。

 統率力不足で「全力は傾けて」、それを自己の成果とすることの非合理性、矛盾に気づかない。どうも辞任という一幕を綺麗事にして片付けたいようだ。

 記者「いつか党の代表に返り咲き、日本で初の女性首相を目指す考えはないか」

 蓮舫「あの、引く会見で、それに堂々と答える強さをまだ持ち合わせていません」

 頭の回転が早く、次から次へと速射砲のように気の利いた言葉を連発して、ときとして自分の発言に酔うように見える蓮舫だが、この質問には機転の利いた言葉は出てこなかったようだ。

 「攻めと受け」を真に頭で理解して口にしていたなら、もう少しました発言をすることができたはずだ。

 「もっともっと成長しなければダメですね。成長できたら、日本初の女性の首相になれる機会が回ってくるかもしれない。成長できなければ、当然、日本初の女性の首相になる機会は巡ってはこないでしょうが」

 蓮舫は二重国籍問題で「私は多様性の象徴」と小賢しいことを言っていたが、もし日本最初の女性首相になることができたなら、本人が言わなくても、周囲が「蓮舫は多様性の象徴」と褒めそやすだろう。

 要するに代表としての統率力は持ち合わせていなかった。民進党代表として執行部及び民進党の「攻め」の力、さらに「受け」の力を満足に引き出すべくリードする能力に欠いていた。

 それは「攻めと受け」のそもそもからの解釈不足――現状認識能力不足から発しているはずだ。


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