APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議出席のためペルーの首都リマを訪れていた安倍晋三が2016年11月19日午後(日本時間11月20日午前7時半頃)から、ロシアのプーチンと1時間余会談した。
この首脳会談で第1次安倍政権時代から数えて15回目だそうだ。会いにも会ったものだが、安倍晋三がプーチンとの信頼関係を言うだけのことはある。
産むつもりで逢っていた男と女なら、そろそろ子どもが産まれていても良さそうなものだが、領土返還の芽も出ていないことが首脳会談後にぶら下がりの形で記者団に発した発言から窺うことができる。
11月20日付「産経ニュース」記事がその発言を伝えている。
記者「会談の手応えは」
安倍晋三「(経済協力)8項目について具体的な進捗(しんちょく)を二人で確認し、12月のプーチン大統領の訪日、長門市での会談に向けていい話し合いができたと思います。
勿論、今日も平和条約問題も含め議論を行いました。平和条約についていえば70年間できなかったわけで、そう簡単な課題ではないわけであります。この平和条約の解決に向けて道筋が見えてくる、見えてはきてはいるわけですが、一歩一歩、山を越えていく必要があります。
一歩一歩進んでいかなければいけない。そう簡単に、これは大きく、大きな一歩をですね、そう簡単に大きな一歩を進めるということはそう簡単ではないわけですが、着実に一歩一歩前進をしていきたいと思っています」
記者「後半、少人数になる場面があったようだが」
安倍晋三「プーチン大統領と二人きりで平和条約交渉、平和条約について腹蔵ない意見交換を行うことができました。これはやはり二人の信頼関係の上でなければ前進していかないと思います。今日は二人でしっかりと話をすることができたことは意義があったと思っています」(以上)
後段の発言から見えてくる光景は要するに会談の後半は通訳だけを交えて安倍晋三とプーチンがサシで話し合った結果、「平和条約について腹蔵ない意見交換を行うことができた」と何らかの「前進」が仄(ほの)めかされていることである。
その仄めかしがなければ、「やはり二人の信頼関係の上でなければ前進していかないと思います」という言葉は成り立たない。
「前進」の要因として、「二人の信頼関係」があったからこそだと、その効用を挙げ、話し合いそのものを「意義があった」とすることができる。
だが、前段の発言を振り返ると、肝心な領土問題に関しては「前進」は何も見えてこない。見えてくるのは8項目の経済協力に関してのみである。
発言の最初に8項目の経済協力を持ってきて、領土交渉と一体不可分としている平和条約問題の話し合いをしたことについては、「勿論」と強調しなければならない。
本来なら“主”である領土問題を先に持ってきて、“従”である経済協力を後に持ってくるべきを、後先逆転させて、“勿論、話題にのぼりましたよ”といった意味合いで「勿論」と強調させなければならないこと自体にどの程度の「前進」があったのかはおおよその予想はつく。
もし領土問題で何らかの「前進」があったなら、あくまでも領土問題が“主”なのだから、後先逆転させることはなかったろう。
このことは後の発言にも現れている。
「平和条約についていえば70年間できなかったわけで、そう簡単な課題ではないわけであります」――
70年間の不可能性を持ち出して、「そう簡単な課題ではない」と現在の状況の困難性に言及している。
である以上、前者の状況を現在の状況に継続させていることになって、そこには如何なる「前進」も見ることはできない。
その結果、「着実に一歩一歩前進をしていきたい」と願望を示すことになる。この願望は停滞に対する意思表示であろう。
もし一歩でも前進していたなら、「そう簡単な課題ではない」とは言わないだろうし、70年間の不可能性に対して何らかの光明を見い出した種類の言葉を発していたはずだ。
だとすると、8項目の経済協力のみが「前進」していることになり、「いい話し合いができた」、あるいは「今日は二人でしっかりと話をすることができたことは意義があった」と言っていることは、実際には、“特にプーチン側にとっては”という注釈付きを実態としていなければならないことになる。
だが、その実態を隠して、「平和条約について腹蔵ない意見交換を行うことができた」としている。
意見の一致点を何ら見ないままに「腹蔵ない意見交換を行うことができた」としたら、神業である。平行線を辿ることを「腹蔵ない意見交換」とは言わない。
安倍晋三が14回の首脳会談でプーチンとの間に「信頼関係」をコツコツと築き上げた成果は15回目の首脳会談でも、少なくとも領土交渉に関しては何ら「前進」を見ることはなかったということであり、8項目の経済協力に関しての話し合いのみが進んだということは、プーチン側の思惑の土俵内で勝負した首脳会談に過ぎなかったことになる。
このことを裏返すと、安倍晋三は自身の思惑の土俵に立たせても貰わなかった。