東京目黒5歳児虐待死:大人の子どもの生命(いのち)に対する想像力の貧困さが虐待死やイジメ自殺を招いている

2018-06-09 13:01:53 | 社会
 安倍晋三:従軍慰安婦強制連行否定2007年3月16日閣議決定

「政府が発見した資料の中には、軍や官憲がいわゆる強制連行を
直接示すような記述も見当たらなかった」
とする
“政府発見資料”とは如何なる資料か、公表すべき

 6月6日(2018年)、5歳の女児に様々な虐待を加えて死に至らしめた保護責任者遺棄致死容疑で東京・目黒区のアパートに住む両親が警視庁捜査1課に逮捕されたとマスコミによって一斉に報道された。

 マスコミ報道を纏めてみると、日常的に顔を殴るなどの身体的暴行と満足な食事を与えないこととひらがなの勉強の強要、さらに電灯のない部屋での生活の強制等々の精神的・肉体的苦痛を5歳の女児の精神と肉体に日々与え、病院に連れて行くなどの措置を取らずに3月2日に低栄養状態などで起きた肺炎による敗血症で死亡させた。

 死亡時の体重は約12キロ。5歳児の平均体重が約20キロとの報道があるが、精神的・肉体的苦痛が8キロの差を女児に与えた。

 各報道から死に至らしめるまでの経緯を見てみる。

 父親は33歳。母親は25歳。5歳女児と1歳の長男の4人家族で香川県善通寺市に住んでいた。但し両親の実子は1歳の長男のみで、5歳女児は母親の連れ子であった。

 5歳女児は昨年2月と5月の夜に屋外で1人放置されている姿が2回目撃されていて、「父親に叩かれた」などと話していたために警察は父親を傷害容疑で書類送検、その後不起訴処分となったが、県内の児童相談所が両親に対して児童福祉法に基づく指導を行った。

 子どもが母親の連れ子で、父親にとって継父という家族関係は虐待が起こりやすいパターンの一つとなっている。思うに母親が5年前の20歳という若さで自分以外の男とのセックスで生んだ子だという思いに一旦囚われ、その思いに支配されると、疎外したい方向に気持が動くのではないのだろうか。

 疎外感が何も相手にしない無視か、それとは逆の過剰な干渉による無視という関係を招く。多くが日々顔を合わせるなると、無視よりも過剰な干渉を手段とした無視に走って、それが様々な虐待の姿を取ることになるといったところではないだろうか。

 特に男の方がセックス経験が遅く、少ないと、女のセックス経験の年齢的な早さと豊富さに囚われた場合のコンプレックスの防御反応としてその他の男とのセックスで生まれた子どもに対して何らかの攻撃行動を取ることで手に入れることができる優越性で以って心理的なバランスを取るといったことが起きるように思える。

 33歳の父親は香川県生まれで香川県善通寺に住み、食品会社に1年半程勤めてから昨年12月に退職。同月、単身で東京の目黒区に引っ越した。年が明けた1月23日に25歳の母親と5歳の女児、1歳の実子である長男が移り住み、家族4人の生活が始まった。

 香川県内の児童相談所は今年1月に児童福祉法に基づく指導措置を解除した。但しこの児童相談所は品川児童相談所に引き継ぎを行っていたということだが、指導措置対象者が地元から離れたから地元の児童相談所としては指導措置を解除したという意味なのか、虐待の恐れがなくなったと評価・判断して指導措置を解除し、このことを含めて品川児童相談所に引き継いだという意味なのか、各記事を読んだ限りでは頭の悪い当方には理解できない。

 但し2018年3月5日付「毎日新聞」記事が、専門家の発言として「香川の児相が警戒レベルを下げたため、転居先の児相の危機感が薄れた可能性がある」と伝えているところを見ると、虐待の恐れがなくなったと評価・判断して指導措置を解除したことになる。

 だとしても、品川児童相談所自身は何ら想像力を発揮せずに香川の児童相談所の解除に対して機械的に対応していたことになる。

 実際に品川児童相談所が機械的に対応していたかどうかを見てみる。

 品川児童相談所は今年2月9日に家庭訪問を実施している。この訪問について2018年6月6日付「NHK NEWS WEB」は品川児童相談所は母親から「関わってほしくない」などと言われたと伝えている。

 他の記事によると、品川児童相談所は5歳女児に合うことができなかった。このことと「関わってほしくない」という母親の発言を繋げると、口調や態度の強弱は別問題として母親から面会を拒否されたことになる。

 品川児童相談所は「関わってほしくない」という言葉で5歳女児との面会を拒否されたことをどのような想像力を以ってしてどう解釈したのだろうか。

 5歳女児は今年4月から小学校に入学予定だったというから、もし児童虐待が行われていなかったなら、「関わってほしくない」などと言った拒絶的態度を示さずに、「私たちは立ち直りました。子どもも元気で小学校の入学を楽しみにしています」ぐらいは口にしたはずで、その証明として面会も受け入れたはずだ。

 だが、そのような態度は示さなかった。それに今までの例から言うと、子どもとの面会拒否は多くの場合、虐待を隠すことが目的となっている。

 児童虐待は子どもの肉体と精神へのあるまじき残酷な変化として傷跡や衰弱や怯え等の犯行の痕跡を残し、こういったことが面会を嫌い、拒否する態度となって現れることぐらいは児童相談所の人間なら知っているはずで、母親の態度にそういった想像力は働かせなかったようだ。

 同「NHK NEWS WEB」記事は品川児童相談所の「香川から引き継がれて虐待のリスクが高いかどうか、判断している最中に事件が起きた。今後、対応が適切だったか調査していきたい」との発言を伝えている。

 母親によって目の前で示された拒絶的態度を直近の基本的情報と看做して児童相談所として持っている最大限の想像力を働かせて直ちに判断しなければならないにも関わらず、「香川から引き継がれ」た情報に基づいて「虐待のリスク」を判断しようとしていたが、その「最中に事件が起きた」としている。

 責任感の質だけではなく、直ちに判断できなかった貧困な想像力は目に余る。

 品川児童相談所は2月9日の家庭訪問から11日後の2月20日に目黒区内の小学校の入学説明会にも様子を確認しにいったが、参加したのは母親だけだと、2018年6月7日付け「時事ドットコム」記事が伝えている。

 要する品川児童相談所が入学説明会で5歳女児の様子を確認しようとしたということは保護者と新入生が一緒に出席していることを期待したからだろうが、5歳女児は出席していなかった。

 単に子どもを連れて行かずに母親だけが出席したということかもしれないが、2月9日の家庭訪問で母親が「関わってほしくない」と言って面会を拒否したことと考え併せると、児童相談所の立場上、虐待を疑うことのできる新しい情報の可能性の一つに加えなければならなかったはずだ。

 だが、子どもの生命(いのち)に対してそこまでの想像力を働かせることができなかった。

 父親は昨年12月に退職して東京に引っ越しする前は食品会社に1年半程勤めていて、それなりの給与を手にし、そのカネで生活していたことになる。母親がパートか何か勤めをしていたのかはマスコミは伝えていない。

 東京に引っ越ししてから、木造アパートに居を構えたが、地元の不動産関係者の話として、「間取りは2DK(35平米)で家賃は8万5000円相当が相場で、税金の支払いの滞納がたくさんあり、生活保護を受給していたという話を聞いている」と、「AERA dot」記事が伝えている。

 仕事に就いていなくて生活保護を受け、保護費を生活を始末することで浮かせて税金の支払いに回さずに滞納している生活態度となっている。児童相談所はこういった情報を入手していたのだろうか。

 育児不安や生活不安、あるいは生活困難、夫婦仲といった何らかの危機的状況がもたらす親の精神的ストレス・苛立ちが子どもに対する虐待という攻撃の形を取り、そのことによってストレス・苛立ちを解消するパターンが多く存在するが、自身の実際の生活態度に反して自尊心だけが高い人間はより弱い存在である妻や子どもへの虐待で自らの優越性を手に入れ、その優越性で以って自らの自尊心を満たすケースを見受ける。

 上記「AERA dot」記事が近隣の飲食店関係者の話として父親が「メディア関係の仕事をするために以前勤めていた食品会社を辞めて東京にきたと話していた」と伝えているが、このエピソードは父親の自尊心の高さを伝えて余りある。勿論、児童相談所が感知できない情報であったとしても、父親の生活態度だけは虐待のリスクを判断する情報として手に入れていなければならなかったはずだ。

 目の前の出来事から虐待のリスクを判断する想像性を働かさなければならないにも関わらず働かせることができず、機械的対応しかできない。 大人たちの子どもの生命(いのち)に対する想像力の貧困さが招いている虐待死の一例以外の何ものでもないだろう。

 最後に5歳女児はしつけと称して、毎日午前4時頃に自分で起きて体重を測ったり、ひらがなを書く練習をしたりすることを命じられていて、ノートには次の書き込みが残されていたという。対して約には断たないが、当ブログに記録しておくために[NHK NEWS WEB」記事から転載しておく。

 「もうパパとママにいわれなくても
 
 しっかりとじぶんから

 きょうよりはもっともっと 
  
 あしたはできるようにするから 
 
 もうおねがいゆるしてください おねがいします 

 ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして

 きのうぜんぜんできてなかったこと

 これまでまいにちしてきたこと なおします

 あそぶってあほみたいだから

 ぜったいぜったいやらないから やくそくします」

 自身の存在を認めようとしない父親に対して5歳の女の子が自分を認めさせようと自分ができる精一杯の努力をしている。

 だが、その精一杯の努力は潰えることとなった。大人たちの子どもの生命(いのち)に対する想像力の貧困さがこれからもイジメ自殺や児童虐待死を招いていくに違いない。

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