こちらに引っ越して来て、新聞を重ねてとるようになった。
夫が、朝起きて一番にするのは4紙すべてに目を通す事だ。
私はその間に朝食の準備をする。
2人で朝食を済ませると、こんどは食事の片付けは夫が、わたしが、全紙に目を通し、目に付いた記事を切抜きする。
これが日課となった。
そんな中で私は初めて気付いたことがある。
同じ記事でも、新聞社によって全く扱われ方が違うという事だ。
そこに新聞社の方針、カラーがある、ということなのだろうが、1紙しか読まなかったら決して「気付けない」事もあるのではないかと。
えん罪についても、司法制度に関する記事もその扱われ方について、布川事件の渦中にあったときは気付かなかったが、今、一歩ひいて第三者的に他の事件の進行具合を報じる記事を目にするたび、明らかに違いを感じるのだ。
そういえば・・・
「布川事件」もマスコミが集中するようになったのは、本当に再審開始決定が出てからだった。
良心的に、ずっと早い時期から「追い続けて」くれていた記者さんの中には、
「転勤が決まったのですが『布川事件だけは最後までやらせて下さい』と頼んで、認めてもらいました」という方もいたし、
関西に転勤になった方は、
「判決の日には、休みを取って裁判所に駆けつけます。自分の目で立会い、最後まで書きたいのです。」という方も。
「編集会議で、シリーズを組むスペースを割いてもらうために頑張りました」と言う方もいた。
記者さんも「たたかい」なんだな・・・。
良くそんな事を思ったものだった。
今回、「4.1集会」の記事がY紙に全く触れられてなく、自分が見落としたのかと慌てたのだが、
「原発賛成ってとこが、反対集会の記事載せないの当然だろう」と夫が私に言った。
「えっ?! だって、ほかは、ちゃんと記事になってるよ!いくらY紙だって、一行も触れて無いってこと、ある?」
・・・・・・・
今朝のY紙。
確かに、社説にはっきりと
『脱原発からの決別が急務だ』の見出しがついていた。
でも、でも、でも・・・
事実は事実として報道してこそ、マスコミの公正というものでは無いだろうか・・・。
Y紙を購読している両親と、4.1集会の話をしようと思ったが、そのような集会が茨城で行われた事を全く知らないでいる姿を前に、
「新聞(商業紙)はどれでも同じ」ではないことを改めて実感。
Y紙、好きな記事もあるんだけどな・・・。
夫が、朝起きて一番にするのは4紙すべてに目を通す事だ。
私はその間に朝食の準備をする。
2人で朝食を済ませると、こんどは食事の片付けは夫が、わたしが、全紙に目を通し、目に付いた記事を切抜きする。
これが日課となった。
そんな中で私は初めて気付いたことがある。
同じ記事でも、新聞社によって全く扱われ方が違うという事だ。
そこに新聞社の方針、カラーがある、ということなのだろうが、1紙しか読まなかったら決して「気付けない」事もあるのではないかと。
えん罪についても、司法制度に関する記事もその扱われ方について、布川事件の渦中にあったときは気付かなかったが、今、一歩ひいて第三者的に他の事件の進行具合を報じる記事を目にするたび、明らかに違いを感じるのだ。
そういえば・・・
「布川事件」もマスコミが集中するようになったのは、本当に再審開始決定が出てからだった。
良心的に、ずっと早い時期から「追い続けて」くれていた記者さんの中には、
「転勤が決まったのですが『布川事件だけは最後までやらせて下さい』と頼んで、認めてもらいました」という方もいたし、
関西に転勤になった方は、
「判決の日には、休みを取って裁判所に駆けつけます。自分の目で立会い、最後まで書きたいのです。」という方も。
「編集会議で、シリーズを組むスペースを割いてもらうために頑張りました」と言う方もいた。
記者さんも「たたかい」なんだな・・・。
良くそんな事を思ったものだった。
今回、「4.1集会」の記事がY紙に全く触れられてなく、自分が見落としたのかと慌てたのだが、
「原発賛成ってとこが、反対集会の記事載せないの当然だろう」と夫が私に言った。
「えっ?! だって、ほかは、ちゃんと記事になってるよ!いくらY紙だって、一行も触れて無いってこと、ある?」
・・・・・・・
今朝のY紙。
確かに、社説にはっきりと
『脱原発からの決別が急務だ』の見出しがついていた。
でも、でも、でも・・・
事実は事実として報道してこそ、マスコミの公正というものでは無いだろうか・・・。
Y紙を購読している両親と、4.1集会の話をしようと思ったが、そのような集会が茨城で行われた事を全く知らないでいる姿を前に、
「新聞(商業紙)はどれでも同じ」ではないことを改めて実感。
Y紙、好きな記事もあるんだけどな・・・。