れいな日記《Reina- diary》

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北茨城市の岡倉天心と五浦美術文化研究所

2006-09-02 | 北茨城市の歴史






五浦六角堂

明治36年(1903)5月、岡倉天心は、茨城県北茨城市磯原町大塚出身の画家飛田周山の案内で、海岸の別荘を探していた。
福島県いわき市の沿岸から五浦まで徒歩で視察してきたのだという。天心は、白砂青松の海岸線よりも、ダイナミックで変化に富んだ五浦の景観に魅了され、早速土地を購入した。
当初は古い料亭(観浦亭)を住居としていたが、明治38年には、みずからの設計により邸宅と六角堂を建築し、明治39年、4人の愛弟子、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山を呼び寄せ、日本画の近代化を目指した美術活動が展開された。
現在の敷地には、長屋門、天心旧邸が残り、前庭先の太平洋に突き出した岩の上には、天心が読書と思索にふけった六角堂が往時の面影を留めている。
付近には、日本美術院研究所跡、天心の墓所、大観の旧別荘があり、風景を楽しみながら日本文化史上の偉業をしのぶ人々も多数訪れる。
尚施設などについては、昭和17年、天心偉蹟顕彰会が天心の遺族から引き継ぎ、戦後、会長の横山大観は、茨城大学に寄贈を申し出たことにより、それを受けて昭和30年(1955)に五浦美術研究所(後に五浦美術文化研究所と改称)が設立、入場料200円を徴し当六角堂などの施設(敷地)を管理維持して現在に至る。(毎週月曜日が休館日)
※平成9年11月当研究所の約0.5キロ先に茨城県天心記念五浦美術館が開館した為に、ここ北茨城市五浦地区は、美術文学の街として更に活気溢れる名勝地となったことは間違いない。