A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

桜満開の京都にて

2005年04月10日 | 旅の破片
 昨日は午後より、阪急電車にて京都へ。久しぶりに河原町4条から3条の雑踏を歩き、高瀬川沿いの桜を見物。三条大橋付近の鴨川土手は込み合っていた。映画「パッチギ」を思い出した。
 当時デートした和菓子屋さんの2階の喫茶店にも上がってみた。なくなっているかと思っていたのだが、しっかり残っていた。名前に花の名が付く女性だった。暗に部屋に泊まっていくことを誘われたのに、こっちはそうしなかった。純情だったのかな。彼女は昔の同級生の友人と結婚してしまった。錦市場を往復し撮影。
 その後、タクシーにて北区紫竹へ。ここで大学浪人の下宿生活を始めたのが29年前である。大宮通りで降ろしてもらえば、おおよそ分かるだろうと考えていたら、はたしてそうであった。最初の横道を入ってみたところ、記憶のある四つ辻にたどり着いた。家主の名前は忘れていたが、表札を見ると、それと思い出した。
 家主のおじさんは、われわれ下宿人を家に招いて、戦後ロシアに抑留され、長く苦労した時の話、ロシア人と数学の問題を出し合って、無聊を慰めたという話を繰り返し語った。表札が変わっていないので、まだご存命であろう。同志社の女子大生のきれいな娘さんがいたが、つんとしていて、こちらには話もしてくれないと、われわれ下宿人は僻んでいた。 
 下宿はマンションにでも変わっているだろうと諦めていたが、これもそのままあった。五友寮という名前で、これは当時もそうだったか記憶がない。3人まで下宿人仲間の顔と声を思い浮かべられる。多感だったのだろう、お互いに影響を受けた。彼らはどこにいったのだろうか。
 下宿の四つ辻の町屋と桜も全く当時のままである。北区のこのあたりは、昔からの商店街と古くからの住民で、ほとんど変わっていないようだ。通りがかりの青年と自転車を押して往く女子高生が、立ち止まって携帯電話を桜にかざし、カメラで撮影しては、通り過ぎて行く。
 公衆電話ボックスは、今ほとんど見かけなくなっているが、同じ場所に残っていた。ここで夏場にものすごい汗をかきながら従兄弟に電話したことがあった。
 今宮神社、大徳寺と歩き、再び大宮通りへ戻った。商店街は変わっている店もあるようだが、しかとは分からない。その中に千成食堂を見つけた。店名も忘れていたが、見るとここだと分かった。この食堂で毎日350円のハムエッグ定食か薄いコロッケ定食をよく食べた。
 入ってチキンかつ定食640円を頼んだ。店内はきれいに改装され、若い主人が注文を聞いた。代替わりしたのだろうと思っていたら、そのうちに奥から見覚えのあるおばさんが出てきた。当時店をきりもりしていた人である。店の中できびきび働いている姿を記憶していたが、今は立ったり座ったりが少し辛そうな様子に見えた。30年の時間が流れたのだ。

Summilux Asph. 35mm/F1.4