新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

東京駅よりも早く列島西端に出現した赤レンガの名建築・青佐ヶ浦天主堂・・・長崎紀行⑧

2016-11-08 | 長崎紀行

 次に青佐ヶ浦天主堂に向かった。中通島の奈摩湾に面した、ここも海辺の教会だ。五島の教会の多くは海に面して建てられている。中には船でしか行けないところもある。隠れキリシタンとして、お上の目を逃れるには、そうした地理的条件が必要だったのだろう。

 こちらの材料はレンガ。設計はやはり鉄川与助だ。鉄川が手掛けた教会は約50棟に上るが、1910年完成のこの天主堂も彼の代表作の1つだ。

 赤レンガのファザードに「天主堂」の文字。その上に十字架が載る。

 中に入って、その美しさに一瞬息をのんだ。リブヴォルト天井。幾重にもアーチが重なり合い、透き通るような黄の衣をまとった空間が果てしなく続いてゆく。最奥の壁は、ステンドグラスを通した光によってピンクに色づいている。100年も前に造られたものとはとても思えない輝きで、圧倒的な美を形成していた。
 
 ヨーロッパのゴシック教会でも何度か、リブヴォルト曲線が天に昇って行くかのようなイメージに囚われたことがあるが、そうしたものにも全く遜色のない美しさが、ここにあった。

 ステンドグラスから漏れる赤や緑の光が、床に個性的なデザインを施す。

 本当に素晴らしい空間だ。

 そのステンドグラスはフランスから、祭壇の像はイタリアから取り寄せたものだという。

 裏に回ってみた。長い建物の直線が、湾に向かって伸びていた。

 正面入口横にはこんな優しいマリア像が佇む。

 聖ミカエルのやんちゃな像もあった。

 クリスマスになると、この教会でも盛大なミサが開かれる。クリスチャンでなくとも地元民がこぞってミサに参加するという。その様子を一目見てみたいと思った。

 天主堂から少し南に行ったところに、元海寺という寺の門が立っていた。この門も実は鉄川与助が手掛けた。鉄川与助はまさに五島列島の教会建築の第一人者。曽根天主堂建築を手伝ったのが皮切りで、以後鯛ノ浦、冷水、野首、青佐ヶ浦と次々に赤レンガの教会を造り上げていった。与助本人もこの近くの墓地に眠っている。

 ちなみに青佐ヶ浦天主堂を完成させたのは1910年。辰野金吾設計で有名な赤レンガの東京駅完成(1914年)より4年も早く、日本列島の西のはずれにこのように壮麗な赤レンガ建築が出現していたことに、本当にびっくりしてしまう。

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