新イタリアの誘惑

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原爆が投下された現場と原爆資料館の巨大原爆模型・・・長崎紀行⑩

2016-11-15 | 長崎紀行
 これまで長崎のキリシタン関係の場所と歴史をたどってきたが、長崎にはもう1つの大きなテーマがある。原爆だ。

 まずは原爆が投下された場所へと向かった。路面電車の浜口町停留所で降りてすぐ。林に囲まれた広場がある。
 1945年8月9日午前11時2分。広場の北側にある黒い石柱の上空5000m地点で原爆は爆発した。
 これによって同年末までに失われた命は73884人。中心から1キロ以内の死亡率は88%にも上った。

 中心地碑の隣りにはもう1つの遺構が立っている。原爆で破壊され、わずかに残った浦上天主堂南側部分の一部がここに移築された。

 屋根部分にはフランシスコ・ザビエルの像。

 ちょうど姿を現した太陽の光を浴びて、ザビエルが黒く浮かび上がった。

 こちらは被爆後50周年に建てられたモニュメント。


 そこから東に向かうと長崎原爆資料館がある。金色の群像を眺めながら館内へ。

 展示室は環境や景観に配慮して地下を中心に構成されている。螺旋階段の壁に沿ってとても長い千羽鶴が下がっていた。

 展示室入口正面には、壊れた時計。原爆投下時の11時2分で止まったままだ。

 奥には浦上天主堂の入口が再現されていた。指の架けたマリア像などが実物そっくりに復元されている。

 びっくりしたのは長崎に投下された長崎型原爆「ファットマン」。長さ3.25m、直径1・52m、4・5トンという巨大な爆弾だ。

 これによって完全に破壊された爆心地付近の記録写真も掲示されてあった。

 また、現在の新型核兵器の模型も。

 被曝によって破れた服。

 原爆の規模が分かるジオラマや核兵器に関する最新資料まで展示されてあった。

 こうした展示を見て終わった修学旅行生たちが、前庭で熱心に説明を聞き入っていた。

 館内に、破壊された浦上天主堂を描いた絵があった。静まり返る原爆投下後の荒れ地に立つ遺構の、厳粛なたたずまいが胸に突き刺さる。
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