新イタリアの誘惑

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浦上天主堂には今も原爆の悲惨を強烈に訴える像たちが・・・長崎紀行⑫

2016-11-22 | 長崎紀行

浦上天主堂へ向かう。平和公園の裏手から東方面を見ると、山合に天主堂のすっくと立ちあがる姿を見ることが出来る。
 
 この教会は明治期の小規模な建物を経て1914年に東洋一の大聖堂が完成した。しかし、あの原爆投下。爆心地から500mという距離にあった教会は完全に破壊された。

 当時の貴重な写真が残されている。
再建は1959年。さらにローマ法王ヨハネパウロ2世来日時の1981年に改築されて、現在の姿になっている。

 平和公園からいったん坂道を下って、再び坂を上る。天主堂への坂道は「巡礼」の言葉を思い出させるような、はるかな道に思えた。

 建物に入る前に、鐘楼の遺跡に出会う。原爆の爆風で吹き飛ばされて、川をせき止めて留まった姿のままに残されていた。

 天主堂前広場左側に、3体の像が立つ。が、焦げたように変色した像だ。それに、左端の像は顔がない。資料によると、右が聖セシリア、中央がキリスト、顔のない左の像はだれか不明とのこと。
 その変色は、まさに1945年8月9日の〝刻印”だ。

 また、右側の広場にも原爆で無残に色あせた像が並んでいる。

 大浦天主堂で浦上の信徒たちが信仰を告白した「信徒発見」の歴史的事件が起きてから、信徒たちは自らの信仰を隠すことなく堂々と明言するようになった。
 
 しかし、250年前の禁教令はまだ解かれたわけではなかった。改めて弾圧の嵐が巻き起こる。「浦上四番崩れ」と呼ばれるものだ。浦上の信徒たち3000人以上が西日本地区に流刑となり、600人以上が見知らぬ土地で命を落とした。



 この石は山口県岩国に流刑となり,そこで拷問を受けた人たちが、解放後に持ち帰った石。このような石を膝に載せられ棄教を迫られた。

 岩国では「寒ざらしのツル」というエピソードが伝えられる。

 22歳の女性ツルが裸で拷問石の拷問を受け続けた。そのうちに大雪が岩国を襲い、ツルは雪にさらされてそれでも耐え続けたが、18日目についに力尽き。天に召されたという。


 天主堂正面には2体の像がある。左は「悲しみの聖母」。

 
 原爆によって指がなくなってしまった。

 右の使徒ヨハネは鼻が欠けている。

 さらに、完全に破壊された十字架のキリストは復元したものが正面ファザードに据えられている。

 堂内には「被曝のマリア」が小聖堂に安置されている。もともと祭壇にあったマリア像の頭部だけががれきの中から発見されたものだ。


 さらに、天主堂裏には二十六聖人の中の最年少、ルドビコ茨木の像もあった。

 窓を外から眺めていると、ユリの花があちこちに描かれている。

 白百合は聖母マリアを象徴するもの。
 
 様々な個所に祈りの思いが込められていた。
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