新イタリアの誘惑

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ケルン大聖堂④ 大聖堂は東方三博士の遺骨譲渡をきっかけとし、600余年をかけてようやく完成した。

2019-06-18 | ドイツ・ケルン

 大聖堂の一番奥に黄金色に輝く物が置いてある。側廊を通って近くまで行ってみた。

 そこにあったのは、聖遺物を納めた金の箱だった。

 そもそもケルン大聖堂はこの聖遺物から物語がスタートしていた。

 1164年、神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒはミラノから東方三博士の遺骨を譲り受けた。東方三博士というのは、キリストが誕生した時に聖母の下にお祝いに駆け付けた人たち。聖書に登場する重要人物だ。

 そうなると、この遺骨を納める入れ物が必要になる。技術者を呼び集めて黄金細工の聖遺物箱が制作され、さらにその箱を納めるのにふさわしい大規模な教会が造られることになった。

 1248年着工、1322年に内陣が完成したのが、このケルン大聖堂だった。ただ、現在のような荘厳な全体像が出来たわけではなかった。あまりに巨大な建設計画の上財政難も加わって、16世紀になっても未完成のまま。以後3世紀にわたって工事は中断されたままだった。

 それが動き出したのは1814年。中世の図面の一部が発見されたことで機運が高まり、歴史学者やゲーテが工事再開を働きかけた。当時ナポレオン支配からの解放、分断されていた祖国の統一といった動きの象徴として大聖堂建設促進が実現、ついに1880年に現在の姿の大聖堂が全貌を現した。

 こうしたいきさつは、この聖遺物をきっかけとして始まったものだった。箱の側面にはきらびやかな人物像が彫り込まれており、黄金細工としては世界最大のものだという。

 右身廊の聖マリア礼拝堂にも、東方三博士にちなんだ絵画がある。シュテファン・ロホナーの三連画だ。

 その中央に描かれた絵が「東方三博士の礼拝」。聖母子の両脇にひざまづいた2人と右後方で帽子を持つ男性の3人が東方三博士とのことだ。

 1440年ころの作品で、柔らかいタッチ、豊かな色使いで描かれた名品だ。

 こちらはクラーレン祭壇画。14世紀の作品。キラキラしている。

 

 

 


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